長谷川亀一郎
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長谷川 亀一郎(龜一郎、はせがわ かめいちろう、1863年4月14日(文久3年2月27日[1])- 1927年(昭和2年)3月4日[2][3])は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]尾張国丹羽郡、のちの愛知県[2]丹羽郡穂波村[3](西成村[1]を経て現一宮市)で、尾張藩士・長谷川甚左衛門の二男として生まれた[1]。鷲津私立学校で漢学を修めた[1]。製糸業、石炭販売業を営む[1]。日清戦争に従軍[2][3]。
木曽川三川四百七箇村土功会議員、愛知県会議員、丹羽郡会議員、同参事会員、愛知県税賦課額調査委員を務めた[1][2][3]。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(愛知県第4区、無所属)で当選し[1][4]、その後、新自由党に所属し衆議院議員に1期在任した[2][3]。
その後、愛知県湯屋連合組合組長、愛知県会議員、同市部会議長、名古屋市会議員、名古屋商業会議所特別議員、日本赤十字社終身社員などを務めた[1][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。