長谷川昇
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長谷川 昇(はせがわ のぼる、1886年5月11日 - 1973年8月26日[1])は、日本の洋画家、日本芸術院会員。
経歴
[編集]福島県会津若松市生まれ、両親と死別して北海道小樽市の祖父母に養育される[1]。札幌中学校を経て、1905年、東京美術学校西洋画科に入学[1]、黒田清輝に師事した[2]。在学中の1908年、第2回文展に「海辺」が初入選した[1]。1910年に東京美術学校を卒業、第4回文展に「白粉」が入選した[1]。1911から渡欧し[1]、ルノワールらに傾倒した[3]。1915年、帰国して日本美術院洋画部同人となる[1]。再度渡欧し、帰国後の1923年、同志と春陽会を設立した[1]。 1937年、海洋美術会(後に大日本海洋美術協会)の設立メンバーとなる[4]。 1938年、春陽会を脱退、1941年、文展審査員[1]。春陽会脱退後は文展、日展に出品した[1]。日展参事を務め、1957年、日本芸術院会員、1966年、勲三等旭日中綬章を受賞した[1]。
裸婦像、人物像のほか[1]、歌舞伎役者絵、文楽人形絵も描いた[2]。