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長野市立川中島小学校

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長野市立川中島小学校
地図北緯36度36分32秒 東経138度09分07秒 / 北緯36.60899度 東経138.15184度 / 36.60899; 138.15184座標: 北緯36度36分32秒 東経138度09分07秒 / 北緯36.60899度 東経138.15184度 / 36.60899; 138.15184
過去の名称 日新館
組合立今里尋常小学校
組合立今里尋常高等小学校
組合立日新尋常高等小学校
川中島村立日新尋常高等小学校
川中島村立川中島国民学校
川中島村立川中島小学校
川中島町立川中島小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長野市
校訓 日新[1]
設立年月日 1869年6月5日
開校記念日 6月5日
学期 3学期制
学校コード B120220100255 ウィキデータを編集
所在地 381-2233
長野県長野市川中島町上氷鉋172番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長野市立川中島小学校(ながのしりつ かわなかじましょうがっこう)は長野県長野市にある公立小学校

概要

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1869年創立の郷学「日新館」を源流とする、近代学校としては長野県で最も古く、全国でも2番目に古い歴史を持つ小学校である[1]2019年には創立150周年を迎えた。

日新館の時代に旧塩崎知行所(旗本藤井松平氏)の陣屋門が構内に移築されたが、その後の校舎移転に伴い現在の千曲市の民家に移動されていた。2021年、地元住民によって構内に再移転・復元された[2]

校章

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1951年12月6日[3]に制定された。戦後の1947年、国民学校から小学校と名称が変わったことを機に、川中島小学校の児童が平和を求め文化を高めるために互いに手を取り合って希望と清新の気に満ちた児童としての自覚を持つことを願って考えられた[3]。1951年9月、サンフランシスコ講和条約が結ばれた記念として学校の記章を一般村民から募集し、信州大学教授の田原幸三が選定と修正を加え、決定された[3]

上下の三角円は川中島のシンボルであり農産物の第一であった小麦の花を表している。「小」の字を囲む三円は川中島三地区(上氷鉋・四ツ屋・今里)を表していて、固く輪で結ばれている[3]

沿革

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日新館跡地の記念碑

通学区域

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  • 篠ノ井小松原(一部)、川中島町今里、川中島町上氷鉋(一部)、川中島町四ツ屋(一部)、稲里町中氷鉋(一部)、稲里町中央三丁目(一部)[6]

進学先中学校

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アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 長野市立 川中島小学校 - ウェイバックマシン(2023年6月27日アーカイブ分)
  2. ^ a b c d 「おかえり」150年前の校門 長野市川中島小に地元住民が復元 2021年11月25日
  3. ^ a b c d e シンボル”. www.nagano-ngn.ed.jp. 2020年1月29日閲覧。
  4. ^ 令和5年度 学校要覧”. 長野市立川中島小学校. 2023年9月9日閲覧。
  5. ^ 学校の紹介 長野市立三本柳小学校、2023年6月27日閲覧。
  6. ^ 通学区域一覧表〈小学校別〉”. 長野市教育委員会 (2023年4月1日). 2023年9月9日閲覧。
  7. ^ 通学区域一覧表<住所名称別>”. 長野市教育委員会 (2023年4月1日). 2023年9月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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