開善寺 (北九州市)
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開善寺 | |
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所在地 | 福岡県北九州市小倉南区湯川二丁目6番3号 |
位置 | 北緯33度50分47.63秒 東経130度50分47.63秒 / 北緯33.8465639度 東経130.8465639度 |
山号 | 畳秀山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 准胝観音 |
創建年 | 1335年(建武2年) |
開山 | 清拙正澄(大鑑禅師) |
開基 | 小笠原貞宗 |
正式名 | 開善禅寺 |
別称 | なし |
札所等 | なし |
文化財 | 絹本墨画布袋図(北九州市指定文化財) |
法人番号 | 6290805000251 |
開善寺(かいぜんじ)は、福岡県北九州市小倉南区湯川にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は畳秀山。開基(創立者)は小笠原貞宗、開山(初代住職)は清拙正澄と伝えられる。
歴史
[編集]- 1335年(建武2年) - 小笠原貞宗が信濃に開創し、翌年清拙正澄が勧請開山したと伝えられている。
- 1632年(寛永9年) - 小笠原氏の小倉への転封に伴い小倉城下馬借町に同名の開善寺を開創する。
- 享保年間 - 住職の大宙が享保飢饉の供養のため宝筐印塔を建立する。
- 1744年(延享元年) - 住職の大宙が藩命により小倉藩領内の享保飢饉による過去帳を完成させる[1]。
- 1832年(天保3年) - 享保飢饉百回忌の供養が行われる[2]。
- 1866年(慶応2年)- 第二次長州戦争で肥前唐津藩主小笠原長行が本営を置いた。
- 1961年(昭和36年)- 小倉市馬借町(現在の小倉北区馬借1丁目)から現在の地所に移転する。
墓所
[編集]文化財
[編集]- 絹本墨画布袋図(北九州市指定文化財)[3]
脚注
[編集]- ^ 高野信治「近世大名の農政展開と社会差別--小笠原小倉藩を素材に」『比較社会文化』第13巻、九州大学大学院比較社会文化学府、2007年3月、27-49(p.33)、doi:10.15017/8690、ISSN 13411659、NAID 110006220062。
- ^ 関根達人「供養塔の基礎的調査に基づく飢饉と近世社会システムの研究」平成16年度~平成18年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書,課題番号:16520459、2007年2月、NCID BA81365473。
- ^ 【市指定】絹本墨画布袋図1幅(北九州市教育委員会生涯学習部文化財課)、2021-08-01閲覧。