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間宮勝三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

間宮 勝三郎(まみや かつさぶろう、生没年不詳)は、日本の実業家発明家。(株)間宮堂(現・日本NCR東芝テック)創業者。マミヤ光機(現・マミヤ・オーピーおよびマミヤ・デジタル・イメージング)創業者である間宮精一の父親で、将棋棋士間宮純一の祖父に当たる。

経歴

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宇多源氏佐々木氏の佐々木神社神主家系間宮家。安政年間、三島で生まれる。藤沢の呉服店木屋に奉公し、のれん分けで大仁に呉服店木屋を開業。店が軌道に乗ると、発明や事業に手を広げる。 生来発明好きで、から樟脳を採ったり、三宅島で芋焼酎やイチゴ酒、椿油を製造したかと思うと、北海道に渡ってリンゴ酒を製造した。1919年(大正8年)には間宮式金庫を発明し、同年株式会社間宮堂[1]を創業。大仁に間宮堂の社屋を建設し、金庫を製造した。長男の間宮精一は「間宮式加減算機」を開発、さらにはそれをベースに1926年日本初のキャッシュレジスター「間宮式金銭登録機」を生みだし、間宮堂で製造販売した。1928年12月に間宮堂は藤山愛一郎(藤山コンツェルン2代目)の支援を受け日本金銭登録機と社名を変更。間宮精一は技術部門の責任者となるが、同社がアメリカNCRと提携したのを機に退社してマミヤ光機を創業した。木屋呉服店は子息の徳次郎(間宮純一(久夢斎)や登(登也)の父)が継承し間宮商店として現在も営業中である。

脚注

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  1. ^ 後述の通り、この会社は日本金銭登録機となり、法人としては現在の日本NCRにつながる。「外資排除」を理由として1940年に東京芝浦電気(現・東芝)が大仁事業所を買収した。後に企業再建整備法により東京芝浦電気大仁工場が同社より分離独立。現在は東芝テックとなっている。