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間野貞吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
間野 貞吉
Sadakichi Mano
基本情報
名前 間野 貞吉
生年月日 1903年????
没年月日 1979年????
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市
経歴
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間野 貞吉(まの さだきち、1903年明治36年)月日 - 1979年(昭和54年)月日)は、兵庫県神戸市出身の日本の建築家一級建築士ゴルフ場設計者。

人物

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間野貞吉は、1903年明治36年)、兵庫県神戸市に生まれ、神戸一中から岡山旧制第六高等学校を卒業、東京帝国大学工学部建築科に入学した[1]1926年(大正15年)、建築復興助成株式会社に入社、耐火建築設計を主な仕事として勤務した[1]1929年昭和4年)、東京帝国大学を卒業した[1]

間野は建築家として耐火建築物の設計を多く手掛けた[1]1932年(昭和7年)、母校の東京帝国大学から、論文『ゴルフ場の施設』により工学博士号を授与された[1]。「相模カンツリー倶楽部」のメンバーとなり、ゴルフに打ちこんだ[1]1936年(昭和11年)、設計した東京都港区虎ノ門にある日本基督教団芝教会は、戦災を免れ現存している[1]

1941年(昭和16年)、株式会社日立製作所営繕課に勤務した[1]戦後は、株式会社大林組の設計部に勤務、定年後も大林組で設計に従事したが、1960年(昭和35年)以降は、ゴルフ場のコース設計を行った[1]1964年(昭和39年)、ホームコースの相模カンツリー倶楽部の理事に就任、グリーン委員長を務めた。間野が設計したコースは32コースを手掛けているが、間野のコース設計は相模カンツリー倶楽部のコース設計した赤星六郎の設計理念を受け継いでいる[1]

主な設計コース

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エピソード

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脚註

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「ゴルフ場の論文で博士号を取得、コース設計理念は赤星六郎を継承」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月7日閲覧
  2. ^ 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「ゴルフ場の論文で博士号を取得、コース設計理念は赤星六郎を継承」、東京 ゴルフダイジェスト社、授与年月日2013年12月、2021年3月6日閲覧

著書

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  • 『国立公園ニ建ツ山小屋建築設計図案集』、「一等 建築學會正員 間野貞吉君作」、東京 国立公園協会、建築学会編、東京 国立公園協会、1934年、2021年3月6日閲覧
  • 『面影 故桜沢堅太郎紀念』、「堅ちやんを偲ぶ・義兄 間野貞吉」、桜沢美代子編著、大阪 愛の園出版部、1935年、2021年3月6日閲覧
  • 『久原君の思ひ出』、「或角度から見た久原君・間野貞吉」、守谷英次・片山徹編、佐賀 片山徹、1939年、2021年3月6日閲覧
  • 『建築界』、「最近の住宅設計について 間野貞吉」、理工図書株式会社編、東京 理工図書、1956年7月、2021年3月6日閲覧
  • 『近代日本における会員制ゴルフクラブの主要施設に関する研究』、間野貞吉著、授与大学名 東京大学、1962年2月12日学位 工学博士、2021年3月6日閲覧
  • 『ゴルフ・マガジン・イラストレーテッド』、「スリー・パットをなくす逆手グリップ 間野貞吉」、東京 ベースボール・マガジン社、1963年8月、2021年3月6日閲覧

関連文献

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  • 『岸田日出刀上 別冊』、「間野貞吉」、岸田日出刀著、岸田日出刀編集委員会編、東京 相模書房、1972年3月、2021年3月6日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「ゴルフ場の論文で博士号を取得、コース設計理念は赤星六郎を継承」、東京 ゴルフダイジェスト社、授与年月日2013年12月、2021年3月6日閲覧