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関東ムービー配給社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社関東ムービー配給社
Kanto Movie Distributors K.K.
種類 株式会社
略称 関東ムービー配給、関東ムービー、ムービー配給
本社所在地 日本の旗 日本
104
東京都中央区銀座3-12-18 新岩間ビル
設立 1965年5月26日
業種 情報・通信業
事業内容 映画の製作・配給・興業および輸出入
代表者 桑原正衛
桑原正樹
資本金 200万円
関係する人物 桑原宏重   桑原正樹
藤井一郎   渡辺省三
若松孝二   経堂一郎
宮口圭   渡辺護
内藤洋   武田有生
糸文弘   向井寛
本木荘二郎   新藤孝衛
佐々木元   酒匂真直
関孝二   沢賢介   影山明文
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株式会社関東ムービー配給社(かんとうムービーはいきゅうしゃ)は、かつて存在した日本の映画会社である[1][2][3][4][5]。旧社名株式会社ムービー配給社(ムービーはいきゅうしゃ)[6]

かつて存在したアニメ制作会社「東京ムービー新社」(現:トムス・エンタテインメント)とは何の関係も無い。

略歴・概要

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新東宝の最末期に中部支社長だった群馬県出身の桑原正衛(1915年生)が、同社倒産後に中部新東宝興業代表を経て、1965年(昭和40年)5月26日に創業した[1][2][7]。創業に先行して、同年1月、日本シネマが製作、松井康子主演、若松孝二監督『離婚屋開業中』を配給して公開した記録がある[3]。以降、翌1966年(昭和41年)末までは、轍プロダクション、若松孝二の若松プロダクション山辺信雄ヤマベプロダクション本木荘二郎シネユニモンド等の製作物を配給していたが、向井寛日本芸術映画協会新藤孝衛青年芸術映画協会等に1969年(昭和44年)までの間に固定化する[4]。このころまでの社名は「株式会社ムービー配給社」であった。白黒・カラーのフィルムを混成して編集したものである「パートカラー」を、同社は「セクシーカラー」と名付けてポスター等に表示していた。

1970年(昭和45年)以降、自社製作・自社配給の体制になり、監督も沢賢介、新藤孝衛、関孝二に固定化し始める[3][4]

1974年(昭和49年)12月25日に公開された、小島麻理主演、沢賢介監督の『(秘)香港セックス基地』以降は、配給については大蔵映画が行い、同社は製作業務に専念する[3][4]。1976年(昭和51年)の製作本数は7本にとどまり[8]、1977年(昭和52年)5月に公開された東祐里子主演、沢賢介監督の『FLESH MARKETS 国際肉体市場』以降は、配給元がミリオンフィルムに切り替わっている[4]。同年から翌1979年(昭和54年)にかけて、年間2本を製作してミリオンフィルムに提供していたが、1980年(昭和55年)5月20日に公開された高原リカ主演、平川弘喜監督の『少女早熟』以降、映画の製作あるいは配給を行った記録がない[3][4]

その後の同社の活動は不明であるが、『映画年鑑』には会社情報や巻末広告が1990年代半ばまで掲載されている。1991年(平成3年)には、桑原正樹がすでに社長になっており、監査役も藤井一郎から渡辺省三に変更している記録があり[9]、1994年(平成6年)には記載されているが[10]、1990年代後半の『映画年鑑』には社名も社長や取締役の人名も掲載されていない[11]Screen international film and TV year book 1992 には、Kanto Movie Distributors, 代表は Masaki Kuwahara(桑原正樹)として掲載されている[12]。2015年(平成27年)現在、かつて同社が所在した新岩間ビルは現存している[13]。同年7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、同社の製作・配給した作品を所蔵していない[14]

企業データ

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フィルモグラフィ

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文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベースインターネット・ムービー・データベースに掲載されている同社製作・配給作品の一覧である[3][4][5]。特筆以外はすべて「製作・配給」である。

1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
  • 痴漢快楽境』 : 監督早坂紘(関孝二[8])、出演泉ユリ、配給大蔵映画、1976年7月7日審査(映倫番号18782)、1976年7月31日公開 - 製作[8]
  • 女子学生(秘)SEX実験』 : 監督関孝二、出演しば早苗、配給大蔵映画、1976年8月10日審査(映倫番号18819)、1976年9月1日公開 - 製作[8]
  • 性道男一代』 : 監督早坂紘、出演南ゆき(南ユキ)、配給大蔵映画、1976年9月6日審査(映倫番号18851)、1976年9月11日公開 - 製作[8]
  • セックス覗き百態』 : 監督関孝二、出演小杉じゅん、配給大蔵映画、1976年9月27日審査(映倫番号18871)、1976年10月1日公開 - 製作[8]
  • 痴漢 スケ狩り』(『土曜オールナイト女狩り』) : 監督沢賢介、出演東祐里子、配給ミリオンフィルム、1976年7月5日審査、1976年10月12日公開 - 製作[8]
  • 団地妻セックス集団』 : 監督関孝二、出演小杉じゅん、配給大蔵映画、1976年11月4日審査(映倫番号18914)、1976年11月23日公開 - 製作[8]
  • 好色産婦人科医の告白』 : 監督関孝二、出演杉佳代子、配給大蔵映画、1976年11月29日審査(映倫番号18946)、1976年12月4日公開 - 製作[8]
1977年
  • 女高生性の乱れ』 : 監督早坂紘、出演青野梨魔、配給大蔵映画、1976年12月8日審査(映倫番号18957)、1977年1月11日公開 - 製作[8]
  • 子種入用 お腹貸します』 : 監督早坂紘、出演南ゆき、配給大蔵映画、1977年1月11日審査(映倫番号18982)、1977年2月12日公開 - 製作[8]
  • 変態婦人科医』(『異常変態婦人科医』) : 監督早坂紘、出演星亜也子、配給大蔵映画、1977年2月17日審査、1977年3月4日公開 - 製作[8]
  • FLESH MARKETS 国際肉体市場』 : 監督沢賢介、主演東裕里子、配給ミリオンフィルム、1977年5月公開 - 製作
  • 痴漢横丁 濡れたいの』 : 監督関孝二、主演しば早苗、配給ミリオンフィルム、1977年12月公開 - 製作
1978年 - 1980年

脚注

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  1. ^ a b 『映画年鑑 1978』、p.201.
  2. ^ a b 『映画年鑑 1988』、p.233.
  3. ^ a b c d e f 関東ムービー、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 関東ムービー日本映画データベース、2012年7月9日閲覧。
  5. ^ a b Kanto Movieインターネット・ムービー・データベース (英語)、2012年7月9日閲覧。
  6. ^ 死ぬほど抱いて、日本映画データベース、2012年7月9日閲覧。
  7. ^ 『映画年鑑 1960』、p.593.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 『映画年鑑 1978』、p.166.
  9. ^ a b c d e f g 『映画年鑑 1992』、p.253.
  10. ^ 『映画年鑑 1994』、p.
  11. ^ 『映画年鑑 1998』、p.244, 318.
  12. ^ Year book 1992, p.151.
  13. ^ 東京都中央区銀座3-12-18 新岩間ビルGoogle ストリートビュー、2012年7月8日閲覧。
  14. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月9日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 『映画年鑑 1960』、時事映画通信社、1959年12月1日
  • 『映画年鑑 1978』、時事映画通信社、1977年12月1日
  • 『映画年鑑 1988』、時事映画通信社、1987年12月1日
  • 『映画年鑑 1992』、時事映画通信社、1991年12月1日
  • Screen international film and TV year book 1992, Screen International, King Publications, 1992 ISBN 0900925213
  • 『映画年鑑 1994』、時事映画通信社、1993年12月1日
  • 『映画年鑑 1998』、時事映画通信社、1997年12月1日

関連項目

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外部リンク

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