関義寿
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関 義寿(關 義壽、せき よしひさ、1889年(明治22年)1月14日[1] - 1963年(昭和38年)6月18日[1][2])は、明治から昭和期の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍砲兵大尉。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]司法官・関義臣の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1918年(大正7年)4月30日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1906年(明治39年)学習院中等科を卒業[3]。その後、陸軍に入り、1911年(明治44年)12月26日、陸軍砲兵少尉に任官[2][5]。1920年(大正9年)8月23日、砲兵大尉に昇進[3][5]。1923年(大正12年)3月23日、予備役編入となった[2][6]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]、公正会に属して活動し、1946年(昭和21年)5月9日に辞職するまで三期在任した[2][9]。その他、中央失業対策委員会委員、神社制度調査会委員を務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』783-784頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』75頁。
- ^ a b c d 『人事興信録』第14版 上、セ13頁。
- ^ 『官報』第1721号、大正7年5月1日。
- ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調』1096頁。
- ^ 『陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿 大正12年4月1日調』667頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
- ^ 『官報』第3871号、大正14年7月18日。
- ^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。
- ^ 関義寿『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
参考文献
[編集]- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調』陸軍省等、1920年。
- 陸軍省編『陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿 大正12年4月1日調』偕行社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 関義臣 |
男爵 関(義臣)家第2代 1918年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |