阪神91形電車
阪神91形電車 | |
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基本情報 | |
運用者 | 阪神電気鉄道 |
製造所 | 汽車製造 |
製造年 | 1947年 |
製造数 | 3両 |
引退 | 1975年5月5日 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435mm |
車両定員 | 76(座席38)人 |
自重 | 19.9t |
全長 | 13,900mm |
全幅 | 2,345mm |
全高 | 3,885mm |
車体 | 全鋼製 |
主電動機出力 | 26.1kW×4 |
駆動方式 | 吊り掛け式 |
歯車比 | 62:15=4.19 |
定格速度 | 33.1km/h |
備考 | 諸元値は1963年6月末現在[1] |
阪神91形電車(はんしん91がたでんしゃ)は、かつて阪神電気鉄道が保有した路面電車車両である。同社の併用軌道線(国道線・甲子園線・北大阪線に対する、阪神電鉄社内における総称)で運行されていた。
概要
[編集]91形は、1941年に満州国の新京交通に譲渡という形で供出された51形5両の代車として、1941年に3両を汽車製造に発注したが、戦争による資材難の影響から、竣工は戦後の1947年となった[2]。
元々の計画では71形と同型で製造の予定だったが、製造時期が201形の登場後となった事から、201形同様に車体の丸みが71形より角ばり、正面窓上が71形の緩やかなカーブから平面になり、前面窓と側面窓の下辺が揃えられたほか、ベンチレーターも71形の10個(1列5個×2列)から6個(1列3個×2列)に減らされたほか、内装も71形にあった座席下のヒーターは廃止されるなど、全般的に工作を簡略化した形となった。
台車及び電装品は、台車は阪神併用軌道線標準の汽車製造製ボールドウィン64-20R台車を履き、モーターは71形の三菱電機MB-163MR(1時間定格出力29.8kW)とは異なり、31形と同じ芝浦SE-116D(1時間定格出力26.1kW)を71形同様4基装備した。但し、制御器は71形の自動加速方式の油圧カム軸多段制御器の芝浦RPM-100を装備している。91形では当初から連結運転を行うことを想定しなかったため、連結器は装備されなかった。
1950年までにポールのうち片方をビューゲル(Yゲル)に取り替え、同時期にテールランプをエアインテークの上に移設した。ポールはビューゲル集電が安定するにつれて撤去されている。1957年には室内灯を60W×14本に変更した。また、1960年代以降、行先方向幕を使用せずに行先表示板を使用するようになった。
1960年代後半に入ると屋根の整備が実施され、92・93の2両はランボードが撤去され、トルペード型ベンチレーターの向きを変更された。その後、方向幕窓も埋められた。91形は1975年5月5日の併用軌道線の全廃まで1両も廃車されることなく使用され、全車解体された。
脚注
[編集]- ^ 朝日新聞社 1963, p. 175.
- ^ 飯島巌・小林庄三・井上広和『復刻版 私鉄の車両21 阪神電気鉄道』ネコ・パブリッシング、2002年(原著1986年、保育社)。118頁。
参考文献
[編集]- 朝日新聞社「日本の路面電車車両諸元表」『世界の鉄道 '64 昭和39年版』、朝日新聞社、1963年9月、ASIN B00H9YRQZM。
- 『鉄道ピクトリアル』1997年7月臨時増刊号 No.640 特集:阪神電気鉄道
- 『阪神電車形式集.3』 2000年 レイルロード
- 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会