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阿井利治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿井 利治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県
生年月日 (1935-06-06) 1935年6月6日(89歳)
身長
体重
164 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1954年
初出場 1954年9月19日
最終出場 1960年9月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 国鉄スワローズ (1962 - 1964)

阿井 利治(あい としはる、1935年6月6日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手

経歴

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静岡商業では1952年、2年生の時に田所善治郎とバッテリーを組み、正捕手として春の選抜に出場。準決勝では、エース・木村保を擁する八尾高を破る。決勝では日野美澄らがいた鳴門高を降し、全試合完封勝利で静岡商業を選抜初優勝に導いた[1]。同年夏は山静大会準決勝で、エース・矢頭高雄を擁する都留高に敗退。田所以外のチームメイトに、中堅手横山昌弘がいる。翌1953年には、同期の横山俊雄(のち静岡商監督)とバッテリーを組み夏の甲子園に出場、準々決勝で明治高に1-2で敗れた[1]。この時の控え選手に松浦三千男滝英男がいた。

1954年国鉄スワローズへ入団。佐竹一雄の控え捕手として起用されたが、1956年には自己最多となる72試合に出場、うち30試合に先発マスクを被る。 しかしその後はあまり出場機会がなく、根来広光の台頭もあって1961年限りで引退。その後は同球団のコーチを、1962年から1964年まで務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1954 国鉄 9 25 22 1 7 0 0 0 7 0 1 0 0 0 2 0 1 1 1 .318 .400 .318 .718
1955 21 23 21 1 4 1 0 0 5 1 0 0 0 0 2 0 0 7 1 .190 .261 .238 .499
1956 72 136 127 5 28 2 0 1 33 8 2 4 0 0 8 0 1 17 2 .220 .272 .260 .532
1957 34 64 55 5 10 3 0 0 13 6 1 0 2 0 7 0 0 12 3 .182 .274 .236 .510
1958 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1959 5 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1960 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:7年 147 255 232 12 49 6 0 1 58 15 4 4 2 0 19 0 2 38 7 .211 .277 .250 .527

背番号

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  • 48 (1954年)
  • 24 (1955年 - 1961年)
  • 52 (1962年)
  • 65 (1963年 - 1964年)

脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、1ページ

関連項目

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外部リンク

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