阿倍首名
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時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
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生誕 | 天智天皇3年(664年) |
死没 | 神亀4年2月13日(727年3月10日) |
官位 | 正四位下兵部卿 |
主君 | 文武天皇→元明天皇→元正天皇 |
氏族 | 阿倍氏 |
阿倍 首名(あべ の おびとな)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。官位は正四位下・兵部卿。
経歴
[編集]系譜は明らかでないが、右大臣・阿倍御主人が没した翌年の大宝4年(704年)正月に、従六位上から三階昇叙されて従五位下に叙爵していることから、御主人の近親か。慶雲3年(706年)大宰少弐に任ぜられる。
その後、和銅4年(711年)正五位下、和銅7年(714年)従四位下、養老3年(719年)従四位上、養老7年(723年)正四位下と元明朝から元正朝にかけて順調に昇進する一方、和銅8年(715年)に兵部卿に任ぜられて以降、卒去まで10年以上に亘って務めた。またこの間の養老5年(721年)には諸府(衛門府・衛士府)の衛士の勤務年数が長すぎて逃亡が頻発していたことから、衛士の役務を3年交替に短縮することを上奏。翌養老6年(722年)に衛士・仕丁の任期が3年に定められている[1]。
神亀4年(727年)2月13日卒去。享年64。最終官位は兵部卿正四位下
『懐風藻』に漢詩作品が採録されている。『万葉集』にある三輪高市麻呂の長門守赴任に対する餞歌[2]の作者安倍大夫を首名に比定する意見もある[3]。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:従六位上
- 大宝4年(704年) 正月7日:従五位下
- 慶雲3年(706年) 2月14日:大宰少弐
- 時期不詳:従五位上
- 和銅4年(711年) 4月7日:正五位下
- 和銅7年(714年) 正月5日:従四位下
- 和銅8年(715年) 5月22日:兵部卿
- 養老3年(719年) 正月13日:従四位上
- 養老7年(723年) 正月10日:正四位下
- 神亀4年(727年) 2月13日:卒去(兵部卿正四位下)