阿岸本誓寺
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阿岸本誓寺 | |
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所在地 | 石川県輪島市門前町南カ26 |
位置 | 北緯37度15分14.3秒 東経136度43分52.7秒 / 北緯37.253972度 東経136.731306度座標: 北緯37度15分14.3秒 東経136度43分52.7秒 / 北緯37.253972度 東経136.731306度 |
山号 | 新巻山 |
宗旨 | 浄土真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
開山 | 1268年以前 |
正式名 | 真宗大谷派新巻山本誓寺 |
文化財 |
本堂、阿岸本誓寺文書 石川県指定文化財 阿岸小菊桜 石川県指定天然記念物 |
法人番号 | 9220005006573 |
阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ)は石川県輪島市門前町にある浄土真宗大谷派の寺院である。
沿革
[編集]- 創建年は不明だが、古くは真言宗松岡寺であった。文永5年(1268年)、善了法師が如信上人(親鸞の孫、本願寺第2世)に帰依したことで正式に真宗に改宗し「阿岸本誓寺」に改称した。
- 永享8年(1436年)に本願寺7世存如上人が、聖人影像に裏書を覚える[1]。
- 慶長15年(1610年)に加賀藩前田家の庇護のもと鳳至郡106ヶ寺を統轄する「触頭」となった。能登真宗教団最有力寺院として位置付ける[2]。
- 天保10年(1839年)に関白左大臣二条治孝公息女五百姫(いほひめ)、本誓寺24世に入嫁する[1]
- 嘉永3年(1850年)に二条家の位牌所となる[1]。
エピソード
[編集]- 室町時代には能登地方での一向一揆の拠点となった。
- 15世紀中ごろは大陸文化の玄関口であった能登の要所になり、織田信長が出陣した石山合戦では、能登門徒と本願寺の中継基地の機能を果たすようになり、能登における真宗の拠点として行った[3]。
- 現在の本堂・山門・鐘楼・鼓楼は越後から招いた棟梁と約1万人の大工により13年に及ぶ大がかりで、完成したのは寛政4年(1792年)だった[4]。
- 同本堂は岩手県の正法寺本堂・山形県の出羽三山神社三神合祭殿と並んで「日本3大茅葺き屋根」の一つである[5]。
文化財
[編集]- 県指定有形文化財
- 本堂 - 安永9年(1780年)着工、寛政4年(1792年)に落慶。屋根は茅葺き。平成4年(1992年)に指定[6]。
- 阿岸本誓寺文書(471点) - 昭和57年(1982年)1月12日に指定。[7]
- 県指定天然記念物
脚注
[編集]- ^ a b c 『五木寛之の百寺巡礼 ガイド版 第二巻 北陸』講談社、2003年、14頁。ISBN 4-06-274088-5。
- ^ 『五木寛之の百寺巡礼 ガイド版 第二巻 北陸』講談社、2003年、14-15頁。ISBN 4-06-274088-5。
- ^ 『五木寛之の百寺巡礼 ガイド版 第二巻 北陸』講談社、2003年、15頁。ISBN 4-06-274088-5。
- ^ 『五木寛之の百寺巡礼 ガイド版 第二巻 北陸』講談社、2003年、16頁。ISBN 4-06-274088-5。
- ^ 輪島観光情報ポータルサイト
- ^ 石川県ホームページ(県指定建造物)
- ^ 石川県ホームページ(県指定古文書)
- ^ 石川県ホームページ(県指定天然記念物)