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阿部ミツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あべ ミツ

阿部 ミツ
1939年
生誕 原 ミツ
1886年5月12日
日本の旗 日本 石川県金沢市
死没 没年不詳
日本の旗 日本
配偶者 阿部信行(夫)
子供 阿部信男
阿部信弘
稲田和子
山口泰子
尾崎寛子
古田恒子
原知信(父)
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阿部 ミツ(あべ ミツ[1]1886年明治19年〉5月12日[2] - 没年不詳)は、日本の第36内閣総理大臣である阿部信行の妻(内閣総理大臣夫人)。石川県金沢市出身。

経歴

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1886年明治19年)、陸軍主計中佐の原知信の長女として生まれる[3]

その後、金沢で父・知信の後輩にあたる阿部信行と結婚[4]。2男4女を儲ける。長男の信男は軍人ではなく住友金属のエンジニアとなり、次男の信弘は陸軍士官学校から陸軍人となった。また4人の娘は良家へ嫁がせている[3]

1945年8月15日敗戦朝鮮京城で迎えたが、翌日には朝鮮総督府釜山地方交通局長に命じ、逸早く民間人に先んじて、釜山港から日本へ脱出を図った。しかし悪天候と多くの荷物の過積載によって老朽船が釜山付近の木島で沈没しかけたため、やむを得ず汽車で釜山駅から京城駅に戻った[5]

脚注

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  1. ^ 阿部光子、阿部みつ子とも表記される。
  2. ^ 『大日本婦人録』(婦女通信社、1908年)p.777
  3. ^ a b 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第二章 広田弘毅」の項
  4. ^ 阿部 信行”. 真★日本人の日本史. 2021年9月23日閲覧。
  5. ^ 吉倫亨「1945年、26日間の独立」p.180
先代
近衞千代子
内閣総理大臣夫人
1939年8月30日 - 1940年1月16日
次代
米内こま