阿部政太郎
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阿部 政太郎(あべ まさたろう、1859年12月24日(安政6年12月1日[1]) - 1934年(昭和9年)10月4日[2])は、青森市長、衆議院議員(立憲政友会)。号は波城。
経歴
[編集]陸奥国南津軽郡浪岡村(現在の青森県青森市)出身。1878年(明治11年)、青森県師範学校予科を卒業し、小学校教員となった。ついで青森県医学校監事補、青森県御用掛を務めた。その後、官を辞して上京し、明治法律学校(現在の明治大学)で学んだ。
帰郷後、南津軽郡会議員に選出され、さらに青森県会議員に選出された。1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その後、1917年(大正6年)と1925年(大正14年)の2度青森市長に選出された。
親族
[編集]5男6女の子宝に恵まれ、その末の子供に洋画家の阿部合成が[3]、甥(政太郎の妹みさほの子)に同じく洋画家の常田健がいる[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 高谷繁太郎・江馬英三郎編『大正四年特別大演習記念 青森県名鑑』青森県行幸記念協会、1917年。
公職 | ||
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先代 工藤卓爾 |
青森市長 第7代:1917年 - 1919年 |
次代 工藤卓爾 |
先代 工藤卓爾 |
青森市長 第9代:1925年 - 1926年 |
次代 中野浩 |