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陳唐山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳 唐山
生年月日 (1935-09-16) 1935年9月16日(89歳)
出生地 日本の旗台湾台南州新営郡塩水庄
(現・中華民国の旗 中華民国台南市塩水区
所属政党 民主進歩党
親族 蓮舫

中華民国の旗 第2・5・8期 立法委員
選挙区 海外華僑枠(1993年-1993年)
台南県選挙区(2002年-2004年)
台南市第五選挙区(2012年-2016年)
当選回数 3回
在任期間 1993年2月1日 - 1993年10月23日
2002年2月1日 - 2004年4月16日
2012年2月1日 - 2016年1月31日

中華民国の旗 第23・26代 総統府秘書長
在任期間 2006年1月25日 - 2007年2月6日
2008年3月27日 - 2008年5月20日
総統 陳水扁

中華民国の旗 第9代 国家安全会議秘書長
在任期間 2007年2月7日 - 2008年3月27日
主席 陳水扁

中華民国の旗 第21代 外交部長
内閣 游錫堃
謝長廷
在任期間 2004年4月16日 - 2006年1月25日

第7代 台南県長
当選回数 2回
在任期間 1993年12月20日 - 2001年12月20日
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陳 唐山(ちん とうざん、チェン タンシャン、1935年9月16日 - )は、中華民国台湾)の政治家国家安全会議秘書長、総統府秘書長、外交部長、台南県長等を歴任。

プロフィール

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経歴

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1959年台湾大学大気物理学科を卒業し、その後渡米。1966年オクラホマ大学で修士号、1972年パデュー大学で博士号を取得した。1973年から1992年までの19年間、アメリカ合衆国商務省に勤務し、人工衛星から得られたデータの分析やアジア資源センターの主任、アメリカ国際開発センターの理事を務めた。

一方で、在米中に台湾独立運動に携わり始め、1966年には蔡同栄らと全米台湾独立連盟(1970年に各国の同様の組織と合併し台湾独立連盟が成立〈1987年に台湾独立建国連盟へ改称〉)を結成した。また1974年世界台湾同郷会が発足すると、陳唐山は1979年から1984年まで会長を務めた。

こうした活動から当時の国民党政府によってブラックリストにリストアップされ帰国できずにいたが、1987年に一時帰国が許され、1990年の国是会議に参加する機会を得た。また「海外台湾人返郷運動」を開始し、台湾独立建国連盟のメンバーの帰国を支援した。1992年、陳唐山は民主進歩党に入党し、同年の立法委員選挙で当選を果たした。

2007年9月21日、首長特別費(交際費)を偽造した領収書で引き出し、不正に使用したとして横領罪などの容疑で、呂秀蓮副総統、游錫堃民進党主席らと共に台湾の検察当局に起訴された。

2020年8月2日、立法委員時代に公司法改正により遠東SOGOの経営権を奪還しようとした元経営者から賄賂を受け取ったとして、台北地方検察署の捜査を受けた[1][2]

学歴

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選挙記録

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年度 選挙 選挙区 所属政党 得票数 得票率 当選 注釈
1992 第2回立法委員選挙 海外華僑枠 民主進歩党 2,944,195 31.03%
1993 第12回台南県長選挙 台南県 275,317 53.99%
1997 第13回台南県長選挙 328,641 65.73%
2001 第5回立法委員選挙 台南県選挙区 60,654 11.38%
2012 第8回立法委員選挙 台南市第五選挙区 120,401 52.23%

エピソード

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外交部長時代の2004年9月27日、シンガポールのジョージ・ヨー外相が国連総会の場で「一つの中国」を支持する発言をしたことに対して、シンガポールについて「鼻くそのような大きさの国」と述べ、さらに台湾語のスラングを使い「中国に金玉(睾丸)を捧げた(中国に媚びへつらった)」と発言したことが報道され、政治問題化した。陳唐山は翌日、この表現について外交部を通じ陳謝した。

南台科技大学特別招聘名誉教授、長栄大学兼任教授を務めたことがある[3]

親族

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陳の義兄(姉の夫)は日本参議院議員蓮舫いとこおじ(父親の従兄弟)であるため、蓮舫は陳を「おじさん」と呼んでいる[4][5]

脚注

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外部リンク

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 中華民国の旗中華民国(台湾)
先代
簡又新
中華民国の旗外交部長
2004年 - 2006年
次代
黄志芳