陳鴻寿
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陳 鴻寿(ちん こうじゅ、1768年 - 1822年)は、中国清朝中期の篆刻家・書家・画家である。西泠後四家に加えられる。
略伝
[編集]贛楡県及び溧陽県の知県を歴任した後、淮安府海防同知を歴任した。文章・詩文に優れ、書は特に隷書に優れ創意があった。溧陽知県であった時、隣接する宜興県は砂壺の生産で知られていたが、自身も十八種類の砂壺のスタイルを考案し、また、砂壺の本体に装飾として銘文を刻することも考案し、そうして制作されたものが、後に「曼生壺」と呼ばれて人気を呼んだ。篆刻は丁敬・黄易を宗とし、その師法を基礎に自由で堂々とした作風だった。印刀はまるで筆を使うがごとくだった。
著書
[編集]- 『種楡仙館詩鈔』
- 『桑連理館集』
- 『種楡仙館掌印』
関連項目
[編集]出典
[編集]- 沙孟海 『篆刻の歴史と発展』中野遵・北川博邦共訳 東京堂出版、昭和63年、ISBN 4490201443。
- 銭君匋・葉潞淵『篆刻の歴史と鑑賞』高畑常信訳 秋山書店<秋山叢書>、昭和57年。