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陵塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陵塚古墳

墳丘・石室開口部
別名 有明A1号墳
所属 穂高古墳群(有明古墳群A群)
所在地 長野県安曇野市穂高有明
位置 北緯36度22分47.20秒 東経137度49分19.30秒 / 北緯36.3797778度 東経137.8220278度 / 36.3797778; 137.8220278座標: 北緯36度22分47.20秒 東経137度49分19.30秒 / 北緯36.3797778度 東経137.8220278度 / 36.3797778; 137.8220278
形状 円墳
規模 直径14-16m
高さ2.1m
埋葬施設 無袖式横穴式石室
出土品 直刀・馬具・須恵器土師器
築造時期 6世紀後半
史跡 安曇野市指定史跡「穂高古墳群」に包含
地図
陵塚古墳の位置(長野県内)
陵塚古墳
陵塚古墳
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陵塚古墳(みささぎづかこふん、有明A1号墳)は、長野県安曇野市穂高有明にある古墳。形状は円墳穂高古墳群(うち有明古墳群A群)を構成する古墳の1つ。安曇野市指定史跡に指定されている(史跡「穂高古墳群」のうち)。

概要

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長野県北部、北アルプス東縁の中房川の扇状地右岸の扇頂部に築造された古墳である。1982年昭和57年)に墳丘・石室の測量調査が実施されている。

墳形は円形で、直径は長径16メートル・短径14メートル、高さは2.1メートルを測る[1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南方向に開口し、穂高古墳群の中で石室が良好な状態で遺存する例として重要視される。石室内からは副葬品として直刀・馬具・須恵器土師器が出土したという(現在は所在不明)[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半を上限とする頃と推定され、穂高古墳群では古い時期に位置づけられる[1]

古墳域は2008年平成20年)に安曇野市指定史跡に指定されている(史跡「穂高古墳群」のうち)。

埋葬施設

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石室パース図
石室展開図

埋葬施設は無袖式横穴式石室で、南方向に開口する。石室の規模としては、長さ8.14メートル・幅1.8メートル・現状高さ1.22メートルを測る[1]

平面形は羽子板形を呈する。奥壁・側壁は転石の5段以上の乱石積みによって構築される[1]。開口部付近には西側に平石1枚が立ち、閉塞扉石と推測される[1]。天井石は12枚。

石室内からは副葬品として直刀・馬具・須恵器(提瓶・甕・坩・坏)・土師器が出土したというが、現在では失われている[1]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板(安曇野市教育委員会、2008年設置)
  • 岩崎卓也・松尾昌彦・松村公仁「有明古墳群の再調査」『信濃』第35巻第11号、信濃史学会、1983年。 
  • 「陵塚」『穂高町誌 第2巻(歴史編 上・民俗編)』穂高町誌刊行会、1991年。 

関連項目

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外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、陵塚古墳に関するカテゴリがあります。