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陸勲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陸勲(りく くん、生卒年不明[1])は晩唐の人。呉郡を本貫とする宣歙(せんきゅう)観察使中国語版礼部尚書陸亘の男[2]

仕履は詳らかでないが、淮南(わいなん)節度使中国語版の何某に辟召されてその従事となって試官(幕職に与えられる朝官)として秘書省校書郎を帯した[3]後に入朝して兵部員外郎兵部判官)となり、懿宗咸通12年(基督教暦871年)3月に博学宏詞科中国語版の考試を通過して[4]、同13乃至14年頃に吏部郎中吏部の判官)に転じたものと考えられ、林宝(りんほう)元和姓纂(げんなせいさん)』における記述に拠れば[5]これが極官となったらしい[6]。但し、陳継儒の蔵書中に陸に仮託された4巻本『集異志』があってそこに「唐比部郎中陸勲集」とあり[7]、これが仮託上の操作や単なる誤記ではない何らかの所拠に基づくものであれば、吏部郎中の前或いは後或いは間に比部郎中刑部の判官)に就く事もあり、更にはそれが極官となった可能性も捨てきれない[8]

その著作に、逸したものの吏部又は比部の郎中在官時に撰したと思われる『集異記(志)』2巻があった。

脚注

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  1. ^ 参考として、『旧唐書』陸亘伝(巻162列伝巻第112)に拠れば父亘は太和8年(基督教暦834年)に71歳で卒している。
  2. ^ 林宝『元和姓纂』巻10嘉興陸氏条。
  3. ^ 李郢「秋晩寄題陸勲校書義興禅居時淮南従事」詩(『全唐詩』巻590所収)。幕職時代に常州義興県に禅居した事があったらしい。
  4. ^ 『旧唐書』懿宗本紀(巻19上本紀第19上)咸通12年3月条。
  5. ^ 前掲巻嘉興陸氏条。
  6. ^ 李劍國『唐五代志怪傳奇叙録』(第2刷版)第3巻「陸氏集異記」及び同書「補正」、南開大學出版社、1998年。
  7. ^ 『宝顔堂秘笈』続集第6。なお、「集異志」参照。
  8. ^ 李前掲書。

参考文献

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  • 劉兆雲「集異志」、馬良春、李福田編『中国文学大辞典』第8巻、天津人民出版社、1991年