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陸詡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陸 詡
各種表記
漢字 陸 詡
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: りく く
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陸 詡(りく く、生没年不詳)は、中国南朝から百済に派遣された講礼博士[1]。「講礼博士」とは『礼記』を教授する博士である[2]

人物

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三国史記』は、百済中国南朝毛詩博士の派遣を要請したことを伝えており、中国史書も講礼博士の陸詡を百済に派遣したことを伝えている[1]

538年、百済は泗沘に遷都し、中央集権国家の完成と中国南朝文化を直写した新都の造営を目指して朝貢する。百済聖王代524年534年541年549年に梁への朝貢を記録しているが、注目されるのは、541年の朝貢であり、『梁書』は「累りに使を遣して万物を献じ、並に涅槃などの経義毛詩博士、並に工匠画師などを請ふ。勅して並に之を給ふ」とあり、百済のへの朝貢は、仏教儒教をはじめとする南朝文化の総合的摂取を目指しており、百済は梁に講礼博士、五経博士の派遣をも要請していた[3]

脚注

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  1. ^ a b “백제가 저미문귀(姐彌文貴)와 주리즉이(洲利卽爾)를 보내 단양이(段楊爾)를 바침”. 東北アジア歴史財団. オリジナルの2022年10月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221008084528/http://contents.nahf.or.kr/item/item.do?levelId=ns.k_0029_0070_0010_0010 
  2. ^ 王勇久保木秀夫 編『奈良・平安期の日中文化交流―ブックロードの視点から』農山漁村文化協会、2001年10月1日、48頁。ISBN 4540011693 
  3. ^ 薗田香融「東アジアにおける仏教の伝来と受容 : 日本仏教の伝来とその史的前提」『関西大学東西学術研究所紀要』第22巻、関西大学東西学術研究所、1989年、10-11頁、CRID 1050001202913298304ISSN 0287-8151NAID 120006494334