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陽春丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陽春丸
基本情報
建造所 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン、A. & G. T. Sampson and Atlantic Works[1]
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
秋田藩
日本の旗 明治政府
艦歴
起工 1861年[2]
進水 1861年9月1日[1]、または同18日[2]
就役 1861年12月7日(アメリカ海軍)[1]
慶応4年(1868年)7月、秋田藩が購入[3]
慶応4年8月25日(または明治2年1月13日[4])、政府借上[5][注釈 1]
その後 明治2年(1869年)8月10日、秋田藩へ返還[6]
明治3年(1870年)、売却
改名 サガモア → カガノカミ → 陽春丸
要目
排水量 530英トン[7]
長さ 170[7](約51.52m)
27尺[7](約8.18m)
機関 蒸気機関[7]
推進 内車[8]
出力 280馬力[8]
航続距離 燃料消費:25,535/日[9]
乗員 明治元年:99人[9]
明治2年4月10日総員:102名[10]
兵装 砲 6門[7]
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陽春丸(ようしゅんまる)は、秋田藩軍艦[3]明治政府軍として箱館湾海戦に参加した。艦名は「春の盛り、陽気天地に満ちる季節」を意味する[11]

『近世帝国海軍史要』や『日本海軍艦船名考』では日本海軍の軍艦として扱われている[11][12]

要目

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元は「サガモア (USS Sagamore) 」といい、南北戦争時に急速建造された「90日砲艦」と呼ばれる砲艦のひとつであった[13]。その要目は以下の通り

  • 排水量:691 トン[注釈 2]
  • 水線長:48.26 m
  • 幅:8.53 m
  • 吃水:2.90 m
  • 機関出力:400 馬力 (IHP)
  • 速力:10 ノット

艦歴

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初期の艦歴については、

  • 元はアメリカで建造された軍艦で原名「サガモア」。民間に売却され汽船として使用されていたのを慶応元年(1865年)に秋田藩が購入し「カガノカミ」と命名、慶応4年(1868年)に「陽春丸」と改名された。[14]
  • 1861年12月「サガモア」として建造、1865年に民間に売却され米商船「カガノカミ」と改名、慶応4年8月(1868年9月 - 10月)に秋田藩が購入し「陽春丸」となった[13]
  • 1865年に「Kaga no Kami」となり、1868年に「Hijun」、次いで「Yoshun」となる[15]

と資料により異同がある。

蒸気船を持っていなかった秋田藩は、戦争に備え慶応4年7月に函館のアメリカ人から67,500両で購入した[3]。原名は「カガノカミ」[3]

明治元年(1868年)に長崎で修理を行い[16]、明治元年12月(1869年1月 - 2月)の時点でまだ修理中だった[17]

明治2年1月13日(または2月[3])に函館へ征討の為に軍務官が借り上げた[4]。明治2年2月19日(1869年3月31日)、兵庫港を出港し、2月20日(4月1日)に潮岬の沖を過ぎ、東に向かっている所でその日の午後から荒天にあった[18]。表三角帆が破損、桁が1本折れたが、2月21日(4月2日)午後5時に無事横浜港に入港した[18]

明治2年3月8日(1869年4月19日)、「甲鉄」「陽春丸」「春日丸」「飛龍丸」「第一丁卯」「戊辰丸」「晨風丸」「豊安丸」の7隻が品川を出港、函館へ向かった[19]。3月13日(4月24日)に浦賀を出港した「陽春」を含む艦隊は3月16日(4月27日)に宮古湾に到着。3月25日(5月6日)には「回天」の攻撃を受けた(宮古湾海戦)。「陽春」らは追撃のため当日に宮古湾を出港し、4月8日(5月19日)に部隊を載せた輸送船と共に青森を出港、翌日に函館へ部隊を上陸させ、「陽春」らは艦砲射撃を実施し味方の進軍を助けた。4月25日(6月5日)には箱館湾に進入し榎本艦隊の軍艦および陸上砲台と砲撃戦を行った(箱館湾海戦)。また5月7日(6月16日)と海戦の最終日となった5月11日(6月20日)の砲撃戦にも「陽春」は参加している。

6月16日(7月24日)に「甲鉄」「春日」「陽春」「丁卯」の4隻を兵部卿宮が視察した[20]。8月10日(9月15日)付で秋田藩に返還となり[6][21]、8月14日(9月19日)に引き渡された[3]

藩では運輸船として使いたかったが、形式上商船として使用された[3]。船の購入代金は購入時に20,000両を支払い、その後の返済で11月に完済、契約に曖昧な点があったため、翌明治3年(1870年)5月に函館で談判して解決した[3]。同年に創設された半官半民の廻漕会社により「長鯨丸」などとともに東京・大阪間で運行されたが[22]、年末には売却されアメリカ人船主が所有、「ダイミョウ (Daimyo) 」と改名されて極東で使用された[23]。「ダイミョウ」のその後は明らかではない[24]

艦長

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  • (船将)井上太蔵:明治元年11月[25] -
  • (艦長代)石井忠売(貞之進):明治2年1月[26] -

脚注

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注釈

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  1. ^ #M1-M9海軍省報告書画像7では明治元年(1868年)秋田藩から購入としている。
  2. ^ 近世帝国海軍史要 1974, p. 882には排水量1,500と記されている。これは単純換算すると767容積トンとなる。

出典

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  1. ^ a b c Sagamore I (Steam Gunboat), Dictionary of American Naval Fighting Ships, Naval History and Heritage Command
  2. ^ a b Paul H. Silverstone, Civil War Navies 1855-1883, p. 29
  3. ^ a b c d e f g h #M3公文類纂8/久保田藩所有陽春艦顛末取調画像1-3。
  4. ^ a b #M2公文類纂/陽春丸借揚の義, 画像1
  5. ^ 『日本海軍史』による。『幕末の蒸気船物語』によると1861年12月に建造。
  6. ^ a b #M2公文類纂/陽春艦引渡の義画像1
  7. ^ a b c d e #艦船名考(1928)pp.10-11、「9 陽春 やうしゆん Yôsyun.」
  8. ^ a b 『日本海軍史』第7巻pp.224-225
  9. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像7、明治元年戊辰艦船総数表
  10. ^ #M1公文類纂/軍艦乗組人名録画像8-17、艦長代1、副長4、会計方1、医師1、会計助役2(以上4月10日調べ)、士官?8、水夫小頭3、水夫59、火焚小頭3、火焚20(内1名2月18日下艦)。
  11. ^ a b 銘銘伝 2014, p. 308.
  12. ^ 近世帝国海軍史要 1974, p. 882.
  13. ^ a b 元綱 2004[要ページ番号]
  14. ^ 日本海軍史 7 1995, p. 462.
  15. ^ Paul H. Silverstone, Civil War Navies 1855-1883, p. 31
  16. ^ #M2公文類纂/陽春丸長崎に於て修復の節条約書云々画像1
  17. ^ #M1公文類纂拾遺/摂津丸外3艘速に修理出来方達画像1
  18. ^ a b #M1公文類纂拾遺/陽春艦横浜着港の件1画像1-3。 #M1公文類纂拾遺/陽春艦横浜着港の件2画像1-3。
  19. ^ #M1-M9海軍省報告書画像8-9
  20. ^ #M2公文類纂/兵部卿官御巡視云々春日外3艦へ達画像1
  21. ^ #M1-M9海軍省報告書画像10
  22. ^ 七十年史 1956, pp. 3–4.
  23. ^ 元綱 2004, pp. 142–143.
  24. ^ 元綱 2004, p. 143.
  25. ^ #M1-M9海軍省報告書画像4-6
  26. ^ #M1-M9海軍省報告書画像8

参考文献

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  • 海軍有終会 編『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。 
  • 海軍歴史保存会 編『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 日本郵船株式会社 編『七十年史』日本郵船、1956年。 
  • 元綱数道『幕末の蒸気船物語』成山堂書店、2004年。ISBN 4-425-30251-6 
  • Paul H. Silverstone, Civil War Navies 1855-1883, Routledge, 2006
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。JACAR:A07062089000 (国立公文書館)
    • 『明治元年 公文類纂 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 陽春艦横浜着港外云々等の件石井貞之進書面』。JACAR:C09090006100 
    • 『明治元年 公文類纂 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 陽春艦横濱着港外云々等石井貞之進書面』。JACAR:C09090006200 
    • 『明治元年 公文類纂 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 摂津丸外3艘速に修理出来方達』。JACAR:C09090008000 
    • 『公文類纂 明治2年 完 本省公文/海軍日誌 6月 兵部卿官御巡視云々春日外3艦へ達』。Ref.C09090018200。 
    • 『公文類纂 明治2年 完 本省公文/海軍日誌 12月 陽春丸長崎に於て修復の節条約書云々』。JACAR:C09090019100 
    • 『公文類纂 明治2年 完 本省公文/弾薬船達章 正月 陽春丸借揚の義佐竹中将へ達』。JACAR:C09090019700 
    • 『公文類纂 明治2年 完 本省公文/海軍日誌 8月 陽春艦引渡の義久保田藩へ達』。JACAR:C09090020100 
    • 『公文類纂 明治3年 巻8 本省公文 艦船部/諸願伺 11月 久保田藩所有陽春艦顛末取調』。JACAR:C09090106000 

関連項目

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