隅田川駅跳上橋
隅田川駅跳上橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 東京都荒川区南千住 |
交差物件 | 隅田川 |
設計者 施工者 | 山本卯太郎 |
建設 | 1926年 |
座標 | 北緯35度44分4.3秒 東経139度48分19.8秒 / 北緯35.734528度 東経139.805500度座標: 北緯35度44分4.3秒 東経139度48分19.8秒 / 北緯35.734528度 東経139.805500度 |
構造諸元 | |
形式 | 可動橋 |
全長 | 17.88 メートル |
幅 | 4.55 メートル |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
隅田川駅跳上橋(すみだがわえきはねあげばし)は、東京都荒川区南千住の隅田川駅構内に架設された跳上橋[1]である。可動橋で第一人者の山本卯太郎が設計。別称は、日本石油株式会社隅田川油槽所跳上橋である。
概要
[編集]1926年(大正15年)7月の竣工である。隅田川駅に隣接している日本石油株式会社隅田川油槽所(1989年閉鎖)に、専用鉄道線を引き込むことになった。そのためには、当時存在した隅田川支流の運河を横切る必要がある。しかも、その地帯の地盤が非常に低いため、満潮時には海面が上昇して海面と地面との差がほとんどない状態になってしまう。このようなことから、普通の鉄道橋を設けることが出来ない[2]ため、跳上橋を架設することになった。
この運河は昭和30年代まで存在したが、その運河が埋め立てられたことにより、橋も撤去され現存していない。
設計の山本卯太郎は、米国から帰国後、1919年(大正8年)に山本工務所を興し、可動橋・可動閘門・起重機などの種々の工事を完成[3]した。中でも隅田川駅跳上橋は、日本における高度な橋梁技術を推し進めるための先駆けとなった。その後、東京には、古川可動橋を竣工させた。1929年(昭和4年)末のことである。この古川可動橋は、当時、東洋一の可動橋と言われた。1926年(大正15年)12月発行の『土木建築工事画報』に、本橋梁についての文献[4]があり、その構造や工事概要について、次のように記されている[5][6]。なお、その執筆者は、日本石油株式会社の関根博[7]と中野英明[8]であり、山本卯太郎ではない。
構造
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- 橋台は機械室を兼たもので杭打鉄筋混凝土とし橋脚は杭打混凝土とした。
- 跳上橋構造の大要は普通のプレートガーダー[9]で其の一端は橋脚に架し、他端橋台には其の左右側に大なる軸受けと栓とを以て其の橋を支へ、更に其の端を延長して先端にカウンターウエイトを支ゆる腕[10]を備へてある。
- カウンターウエイトは大なる鉄函にして此内に鉄屑及び混凝土[11]等を塡充し、橋の重量とカウンターウエイトとは天秤の作用を為さしめ其の重力を殆ど相等しくしてある。
- 別に同橋台上に鉄柱二本を建てカウンターウエイトの頂部と連結して橋の動くに従ひ常に其のウエイトを直立の位置にあらしむる装置としてある。
- …(中略)…
- 橋を上下する速度は約三分間にて巻揚げ、巻降ろし自在で、之れに要する動力は電動機十五馬力及予備ガソリン発動機二十五馬力を備へ其の回転は一分間七百である之を歯車五段を経て橋の底部に取付てある半径約八尺の大歯車に伝はりて橋を動かす様になつてをる。
橋台は機械室を兼ねる。その橋台は杭打ちを行い、鉄筋コンクリート構造である。カウンターウエイトの頂部は、それを支えるアームを介し、鉄柱に連結されている。そのカウンターウエイトは、橋の動きに連動して、常に直立するようになっている。電動機の回転は、小歯車5段を経て、橋の底部に取り付けてある半径約2.4 メートル[12]の大歯車に伝えられ、橋を動かすようになっている。
工事概要
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- 本工事は基礎工を大正十四年五月着手したが運河の幅員狭き処へ通船[13]せしめつゝ作業するのであるから充分なる締切工[14]を施す事が出来ず、加ふるに河底に大小無数の混凝土の破砕塊が存在して締切に非常なる困難を感じた。それ故橋台築造に殆んど年末迄費し、橋脚も亦同様の有様であつた。
- 何分にも満潮時には橋梁下端と水面とが殆ど接する位の状態であるのに、前述の如く通船甚だしき処であるから、跳上橋の運転をなし得る迄の間は通船に支障なき高さに置かねばならぬ、それ故に右組立ガーダーを百余噸の船に乗せ満潮を利用して適当の高さに浮上上らせ、仮台上に案架した。而して橋台側を徐々に降下して軸受に栓にて支持せしむると同時に別に用意したカウンターウエイト用鉄函を引揚け、二本の鉄柱及びガーダーの腕に栓にて取付けると共に同鉄函中に鉄屑及び混凝土を塡充した。
- 本年[15]五月に至り工事大体完了したが試運転の結果カウンターウエイト支持点の移動、歯車の増設、ブレーキの改造其他二三の改造を行つて、本年[15]七月遂に日本最初の跳上橋の工事は竣功[16]を告ぐるに至つた。
橋台の築造などに、1925年(大正14年)5月の着工からほぼ年末まで費やすことになる。難しい現場状況[17]での施工や試運転時の改造などによって、着工から竣工までに1年2箇月ほどを要し、設計者で工事請負者である山本卯太郎や日本石油株式会社の関根博・中野英明が、苦心したことが分かる。カウンターウエイト用の鉄箱には、鉄屑及びコンクリートを充填。隅田川駅跳上橋は、日本初の跳上橋[18]である。
諸元
[編集]- 橋長: 17.88 メートル(59尺)
- 幅員: 4.55 メートル(15尺)
- カウンターウエイト: 約75 トン
- 可動部重量: 約40 トン[19]
- 可動部上昇時間と下降時間の合計: 約3 分[20]
- カウンターウエイトを支える鉄骨アームの長さ: 3.82 メートル(12尺6寸)
- 可動部の昇降には、15 馬力の電動機を用いる。さらに、25 馬力の予備ガソリン発動機も備える。
- 昇降用電動機回転数(回転速度): 700 rpm
脚注
[編集]- ^ 鋼製跳開式可動橋
- ^ 普通の鉄道橋の場合、艀のような船舶であっても、運河での航行が不可能となってしまう。
- ^ 山本卯太郎 「鋼索型跳上橋の一考案」『土木学会誌』第14巻第6号、土木学会、1928年12月。
- ^ 関根博・中野英明 「日本石油株式会社隅田川油槽所跳上橋に付て」『土木建築工事画報』第2巻第12号、工事画報社、1926年12月。
- ^ 本文献には、跳上橋設計の理由や諸元などについても記されている。
- ^ 「臺」を「台」にするなど、新字体などに直した。
おもな直した漢字(括弧外の字体を用いる): 台(臺)、鉄(鐵)、函(凾)、為(爲)、従(從)、巻(卷)、予(豫)、発(發)、転(轉)、歯(齒)、経(經)、径(徑)、尺(呎)、伝(傳)、処(處)、砕(碎)、余(餘)、仮(假)、当(當)、体(體)、点(點) - ^ 日本石油株式会社 道路部主任
- ^ 日本石油株式会社 技師
- ^ 鋼板桁
- ^ アーム
- ^ セメント・砂利・砂に水を混合して固めたもの。コンクリート。
- ^ 8尺
- ^ 施工場所への往復や作業船間の連絡に用いる船。港と接岸していない船舶の間を結んで、人などを運ぶ船。
- ^ 海水などを遮断して、ドライな状態で施工できるようにするための構造物を作る工事。
- ^ a b 1926年(大正15年)
- ^ 竣工
- ^ 運河の幅員が狭い。河底に大小無数のコンクリート破砕塊が存在する。満潮時には橋梁下端と水面とが接するような状態となる。
- ^ 鋼橋
- ^ カウンターウエイトを支える鉄骨アームなどの重量を含む。
- ^ 「約3分間にて巻揚げ、巻降ろし自在」とある。