震災紀念堂
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震災紀念堂 | |
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情報 | |
用途 | 慰霊施設 |
管理運営 | 宗教法人紀念堂 |
構造形式 | 木造(入母屋造、瓦葺) |
建築面積 | 175 m² |
階数 | 平屋建 |
開館開所 | 1893年10月27日 |
所在地 |
〒500-8828 岐阜県岐阜市若宮町2丁目10番地 |
座標 | 北緯35度25分13.0秒 東経136度45分43.3秒 / 北緯35.420278度 東経136.762028度座標: 北緯35度25分13.0秒 東経136度45分43.3秒 / 北緯35.420278度 東経136.762028度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2006年8月3日 |
震災紀念堂(しんさいきねんどう)は、岐阜県岐阜市若宮町2丁目10番地にある慰霊施設。
1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の犠牲者を慰霊する施設であり、管理は宗教法人紀念堂。仏教(浄土真宗)により祭祀されている[1]。
歴史
[編集]1891年(明治24年)10月28日に岐阜県本巣郡西根尾村(現・本巣市)を震源地として発生した濃尾地震は、岐阜県内だけで約5,000人が犠牲となった。この犠牲者を慰霊、及び地震当時の状況を後世に伝える施設として、衆議院議員で元真宗大谷派僧侶[2]の天野若円が中心となり、1893年(明治26年)10月27日に震災紀念堂が建立された。建設費は全国からの寄付金で賄われた。
2017年(平成29年)時点で建物の管理は天野若円の子孫が行っており、祥月命日(地震発生日の10月28日)と月命日には法要が行われている。2010年(平成22年)からは祥月命日の法要後、濃尾震災紀念堂保存機構主催の講演会も開かれている[3]。
建築
[編集]建物は入母屋造、正面は唐破風造。外観、内部とも浄土真宗本堂形式に基づいている。本尊は阿弥陀如来像。2006年(平成18年)8月3日には国の登録有形文化財に登録された[4]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ “大量保有報告書(レシップ株式会社)”. 宗教法人紀念堂 (2005年12月19日). 2017年10月29日閲覧。
- ^ 当時の衆議院議員選挙法では僧侶に被選挙権が無かったため、立候補する際に僧籍を離脱している。後の1907年に僧籍復帰。
- ^ “濃尾地震125年、語り継ぐ 震災紀念堂で法要”. 岐阜新聞. (2016年10月29日). オリジナルの2016年10月30日時点におけるアーカイブ。 2017年10月29日閲覧。
- ^ 震災紀念堂 - 文化遺産オンライン(文化庁)