霊山院 (埼玉県ときがわ町)
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霊山院 | |
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所在地 | 埼玉県比企郡ときがわ町西平445 |
位置 | 北緯36度0分36.5秒 東経139度13分30.6秒 / 北緯36.010139度 東経139.225167度座標: 北緯36度0分36.5秒 東経139度13分30.6秒 / 北緯36.010139度 東経139.225167度 |
山号 | 拈華山[1] |
院号 | 霊山院 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 釈迦如来[1] |
創建年 | 建久8年(1197年) |
開山 | 釈円栄朝[1] |
中興年 | 幕末 |
中興 | 叔山 |
文化財 | 板石塔婆、鉄造阿弥陀如来坐像(以上、埼玉県指定有形文化財) |
法人番号 | 4030005011795 |
霊山院(りょうぜんいん)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
歴史
[編集]1197年(建久8年)、釈円栄朝によって開山された。栄朝が慈光寺の住職だった[注釈 1]ときに、禅宗専門道場として創建したものである[2]。
1863年(文久3年)、叔山は寺運衰微甚だしかった当寺の再建に乗り出し、荒地となっていた寺領8町歩に杉や桧の苗を植えて、当寺の経営基盤を確立した[2]。
ところが、明治初期の上知令によって寺領は没収となり、叔山の折角の事業は無に帰すと思われた。叔山の後任の全哲住職や檀徒の努力により、なんとか寺領の8割を当寺に残すことに成功した。叔山は1873年(明治6年)5月28日に入定したが、わざわざ入間県県令河瀬秀治に「入定願書」を提出していることから抗議の自殺という見方もある[2]。
当寺は元から臨済宗の寺院であるが、明治初期まで天台宗の寛永寺の支配も受けていた。その後は、叔山が妙心寺系だったことから「臨済宗妙心寺派」に属することになった[2]。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]- 東松山ICより車36分。