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霊山院 (埼玉県ときがわ町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霊山院
所在地 埼玉県比企郡ときがわ町西平445
位置 北緯36度0分36.5秒 東経139度13分30.6秒 / 北緯36.010139度 東経139.225167度 / 36.010139; 139.225167座標: 北緯36度0分36.5秒 東経139度13分30.6秒 / 北緯36.010139度 東経139.225167度 / 36.010139; 139.225167
山号 拈華山[1]
院号 霊山院
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来[1]
創建年 建久8年(1197年
開山 釈円栄朝[1]
中興年 幕末
中興 叔山
文化財 板石塔婆、鉄造阿弥陀如来坐像(以上、埼玉県指定有形文化財)
法人番号 4030005011795 ウィキデータを編集
霊山院の位置(埼玉県内)
霊山院
霊山院
霊山院 (埼玉県)
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霊山院(りょうぜんいん)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある臨済宗妙心寺派寺院

歴史

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1197年建久8年)、釈円栄朝によって開山された。栄朝が慈光寺住職だった[注釈 1]ときに、禅宗専門道場として創建したものである[2]

1863年文久3年)、叔山は寺運衰微甚だしかった当寺の再建に乗り出し、荒地となっていた寺領8町歩の苗を植えて、当寺の経営基盤を確立した[2]

ところが、明治初期の上知令によって寺領は没収となり、叔山の折角の事業は無に帰すと思われた。叔山の後任の全哲住職や檀徒の努力により、なんとか寺領の8割を当寺に残すことに成功した。叔山は1873年(明治6年)5月28日入定したが、わざわざ入間県県令河瀬秀治に「入定願書」を提出していることから抗議の自殺という見方もある[2]

当寺は元から臨済宗の寺院であるが、明治初期まで天台宗寛永寺の支配も受けていた。その後は、叔山が妙心寺系だったことから「臨済宗妙心寺派」に属することになった[2]

文化財

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  • 板石塔婆(埼玉県指定有形文化財 昭和40年3月16日指定)[3]
  • 鉄造阿弥陀如来坐像(埼玉県指定有形文化財 昭和48年3月9日指定)[4]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 栄朝は臨済宗伝来時の僧侶であり、天台宗台密)の僧侶でもあった。

出典

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 平村.
  2. ^ a b c d 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅲ』埼玉新聞社、1982年、43-49p
  3. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、73p
  4. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、59p

参考文献

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  • 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅲ』埼玉新聞社、1982年
  • 「平村 霊山院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ192比企郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764006/58