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霊岸橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京都道10号標識
霊岸橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都中央区 - 中央区
交差物件 亀島川
建設 1985年3月
座標 北緯35度40分44.81秒 東経139度46分53.84秒 / 北緯35.6791139度 東経139.7816222度 / 35.6791139; 139.7816222座標: 北緯35度40分44.81秒 東経139度46分53.84秒 / 北緯35.6791139度 東経139.7816222度 / 35.6791139; 139.7816222
構造諸元
形式 単純鋼床版箱桁橋
全長 53.0 m
33.8 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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霊岸橋上からの亀島川
新亀島橋上からの霊岸橋

霊岸橋(れいがんばし)は、亀島川にかかる東京都道・千葉県道10号東京浦安線永代通り)を通す。西岸は中央区日本橋茅場町一丁目、東岸は中央区新川一丁目。橋下には東京メトロ東西線が通る[1][2]

橋の概要

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  • 構造形式
    • 単純鋼床版箱桁橋[2]
  • 橋長 53.0 m[3]
  • 総幅員 33.8 m
  • 有効幅員 31.0 m(車道20.0 m、歩道5.5 m×2)
  • 施工者 桜田機械工業(サクラダ[4][5]
  • 竣工 1985年(昭和60年)3月
  • 管理 東京都(東京都建設局)

歴史

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創架は江戸時代初期と言われており、「新添江戸之図」(1657年)や「江戸方角安見図鑑」(1679年)に霊岸橋は既に描写されていることから少なくとも1657年以前には建築されていたことがわかる。 1875年(明治8年)2月に橋長31 m、幅員7.3 mの木橋が架けられ[6]、1899年(明治32年)6月に橋長44 m、幅員5.5 mの同形式の橋に架け替えられている[7]。 1916年(大正5年)7月に橋長41.8 m、幅員18.2 mのプレートガーダー橋(鋼鈑桁橋)に架け替えられ[8]、東京市街鉄道(後の東京都電)の軌道(路面電車)も併設された(1972年〈昭和47年〉11月廃止)。 1923年には関東大震災で被害を受け、その復興事業として1930年(昭和5年)3月31日[9]に橋長41.3 m、幅員33 mのRC連続桁橋[10]として再建されている(開通は同年5月[10])。その後、老朽化により1985年(昭和60年)に建て替えられ現在に至る[2]

霊岸橋が登場する作品

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ドラマ

脚注

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  1. ^ 東京地下鉄道東西線建設史”. 帝都高速度交通営団. 2024年7月17日閲覧。
  2. ^ a b c 新川に架かる9つの橋”. NewRiver. 2024年7月17日閲覧。
  3. ^ 事業概要 令和2年版”. 東京都第一建設事務所. p. 73 (2020年9月). 2024年7月18日閲覧。
  4. ^ 霊岸橋 - 日本橋梁建設協会橋梁年鑑データベース。2024年7月18日閲覧。
  5. ^ 出典の内容が食い違っていることから、サクラダは橋梁(上部工)の製作で、「東京都」はその事業主体の事と思われる。
  6. ^ 霊岸橋1875-2 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2024年7月18日閲覧。
  7. ^ 霊岸橋1899-6 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2024年7月18日閲覧。
  8. ^ 霊岸橋1916-7 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2024年7月18日閲覧。
  9. ^ 復興局土木部橋梁課「解説」『橋梁設計図集 第五輯』第5巻、シビル社、1930年6月、目次頁。 
  10. ^ a b 霊岸橋1930-5 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2024年7月18日閲覧。
  11. ^ ゴシップ #彼女が知りたい本当の○○”. 2024年7月17日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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