青年エジプト党
青年エジプト党(アラビア語: Hizb Misr El-Fatah、英語: Young Egypt Party)は、エジプトにかつて存在した政党。青年エジプト協会(Young Egypt Society)ともいう[1]。
沿革
[編集]1933年10月、弁護士のアフメド・フサインによって宗教の本質とともにある急進的ナショナリズムとの政党として結成された[2]。党の目的は、エジプト、スーダン、その他のアラブ諸国との同盟によってエジプト帝国をつくり、イスラムの指導者を目指すとされた[2]。
結党の背景には、1923年のエジプト首相イスマイル・シドゥキ(Ismail Sidqi)による憲法廃棄とその後のエジプト社会の混乱があるとされる[1]。
緑シャツ隊
[編集]青年エジプト党は、エジプトの若者を集めた準軍事組織の緑シャツ隊を組織し、エジプトを支配していた大英帝国と敵対していたナチス・ドイツを賞賛した[3]。
1930年代の全盛期の緑シャツ隊は、ワフド党の青シャツ隊と敵対した[4][1]。1937年11月にはムスタファ・エル・ナハス・パシャ暗殺未遂事件が発生。エジプト政府は1938年に緑シャツ隊に解散を命じた。
再結成
[編集]しかし、1940年には民族主義イスラム党(Nationalist Islamic Party)と改称して再結成し、反イギリスの立場と宗教的性格をもっと鮮明にさせた。
戦後
[編集]第二次世界大戦後にはエジプト社会党(Socialist Party of Egypt)と改称した。同党からは1951年に副大統領となったイブラヒム・シュクリを輩出した。しかし、1952年のエジプト革命によって、他の政党とともに1953年に解散を命じられた。
その後、イブラヒム・シュクリはエジプト社会労働党を1978年に結成、その組織はアル・シャーブ(Al-Sha'ab)とよばれた。
1989年の再結成
[編集]1989年10月12日、もとの名前の「青年エジプト党」として再び結成された[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c Yunan Labib Rizk, Color of shirts in EgyptAl-Ahram weekly article,23 - 29 June 2005,Issue No. 748
- ^ a b Young Egypt green shirts & British impeire
- ^ THE ERA OF LIBERAL CONSTITUTIONALISM AND PARTY POLITICS
- ^ Lewis, Bernard (1999). Semites and anti-Semites: an inquiry into conflict and prejudice. W. W. Norton & Company. p. 148. ISBN 978-0-393-31839-5
- ^ Misr El-Fatah (Young Egypt) Party,State Information Service.
参考文献
[編集]- Political Parties of the Middle East and North Africa Ed. Frank Tachau; Greenwood Press: Westport Connecticut, 1994
- Young Egypt green shirts & British impeire
- Yunan Labib Rizk, Color of shirts in EgyptAl-Ahram weekly article,23 - 29 June 2005,Issue No. 748
- Alleged relation with Nazi Germany
- Pro-Axis Young Egypt Party and Abdel Naser as a member
- "Young Egypt" (Misr al-Fatah) movement members later presidents, Gamal Abdel Nasser and Anwar El-Sadat
- Young Egypt and terrorism
- Young Egypt and Wafd party
- 小川浩史「ムスリム同胞団の誕生とその歴史的展開 1906 -1940」コア・エシックス巻2、立命館大学大学院先端総合学術研究科、2006年。