青木長国
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保元年(1741年)[1] |
死没 | 不明 |
別名 | 通称:安之助、左京、別名:當久 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
氏族 | 青木氏 |
父母 | 父:青木昌邦、母:平岡道弘娘 |
妻 | 勝命雅次女、杉浦孝允娘 |
子 | 満真、阿部正親室、大岡義方、勝元良 |
青木 長国(あおき ながくに)は、江戸時代中期の旗本。武田氏族青木家の寛政重修諸家譜編纂時点の当主。勝海舟の母方曾祖父で、幕末の大奥御年寄となる瀧山の祖父である。家禄は蔵米290俵。
生涯
[編集]青木正寛(甚平)を家祖とする青木家に生まれる。実祖父の青木正教(甚五兵衛)は平岡道賢(源兵衛)の三男であり、長国の母も平岡氏の出身である。最初の正室に勝命雅(市郎右衛門)の次女を迎えており、義兄に塩谷奉正(平四郎)、義弟に勝曹淓(安五郎)がいる。
明和5年(1768年)に徳川家治の初御目見する。なお、同年に舅の勝命雅(市郎右衛門)が広敷番頭となっている。
安永6年(1777年)に37歳で父の隠居により青木家の家督と家禄を相続する。翌安永7年(1778年)に大番士となり、寛政5年(1793年)に大番組頭に昇進する。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 寛政重修諸家譜に記載の家督相続時の届出年からの逆算
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 第3』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
- 寛政重修諸家譜 巻百五十二
- 『新訂寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
- 寛政重修諸家譜 巻千五百一