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青木長国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青木長国
時代 江戸時代中期
生誕 寛保元年(1741年[1]
死没 不明
別名 通称:安之助、左京、別名:當久
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 青木氏
父母 父:青木昌邦、母:平岡道弘
勝命雅次女杉浦孝允
満真阿部正親室、大岡義方勝元良
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青木 長国(あおき ながくに)は、江戸時代中期の旗本武田氏族青木家の寛政重修諸家譜編纂時点の当主。勝海舟の母方曾祖父で、幕末大奥御年寄となる瀧山の祖父である。家禄は蔵米290俵。

生涯

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青木正寛(甚平)を家祖とする青木家に生まれる。実祖父の青木正教(甚五兵衛)は平岡道賢(源兵衛)の三男であり、長国の母も平岡氏の出身である。最初の正室に勝命雅(市郎右衛門)の次女を迎えており、義兄に塩谷奉正(平四郎)、義弟に勝曹淓(安五郎)がいる。

明和5年(1768年)に徳川家治の初御目見する。なお、同年に舅の勝命雅(市郎右衛門)が広敷番頭となっている。

安永6年(1777年)に37歳で父の隠居により青木家の家督と家禄を相続する。翌安永7年(1778年)に大番士となり、寛政5年(1793年)に大番組頭に昇進する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜に記載の家督相続時の届出年からの逆算

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第3』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻百五十二
  • 『新訂寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻千五百一