青森市立荒川小学校
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青森市立荒川小学校 | |
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北緯40度47分17.3秒 東経140度44分28.3秒 / 北緯40.788139度 東経140.741194度座標: 北緯40度47分17.3秒 東経140度44分28.3秒 / 北緯40.788139度 東経140.741194度 | |
過去の名称 |
白取小学 白鳥小学 荒川簡易小学校 荒川尋常小学校 荒川国民学校 荒川村立荒川小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 青森市 |
併合学校 |
青森市立金浜小学校 青森市立野沢小学校 |
設立年月日 | 1874年11月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210000160 |
所在地 | 〒030-0111 |
青森県青森市荒川字柴田92番5号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
青森市立荒川小学校(あおもりしりつ あらかわしょうがっこう)は青森県青森市荒川字柴田にある公立小学校。この付近は青森市の郊外で田圃も多い。校庭には明治時代の創設者・白鳥慶一の長男・白鳥鴻彰(荒川村長。山林下戻で功績があった)の胸像がある。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)11月10日 - 東津軽郡荒川村荒川字筒井33番地、宗全寺の本堂を仮校舎に白取小学校開校。生徒数男40人、教員1名(青森県教育史)。[1]
- 1876年(明治9年)10月 - 校舎狭隘により、荒川字柴田44番地の藤林権次郎氏宅に仮校舎として移転。
- 1877年(明治10年)7月 - 荒川字柴田121番地(白鳥鴻彰氏敷地内)に校舎新築移転し「白鳥小学」に改称。[1]
- 1886年(明治19年)12月 - 「荒川小学校」と改称。[2]
- 1887年(明治20年)12月1日 - 荒川字筒井55番地に校舎移転し。同日、「荒川簡易小学校」と改称[2](この日から女生徒入学)。
- 1890年(明治23年)8月24日 - 荒川字柴田293番地の穐元豊一宅地内に校舎新築移転。
- 1892年(明治25年)4月 - 「荒川尋常小学校」と改称。[2]
- 1899年(明治32年)1月10日 - 荒川字柴田129番地に移転。[2]
- 1901年(明治34年)8月23日 - 荒川高等小学校が独立開校。補習科廃止。[2]
- 1903年(明治36年)4月 - 高等科設置(1901年(明治34年)8月23日に開校した「荒川高等小学校」を実質統合)し、「荒川尋常高等小学校」と改称。[2]
- 1906年(明治39年)5月4日 - 学校焼失。
- 1912年(明治45年) - 校章制定。
- 1918年(大正7年) - 体操場新築。補習学校附設。[2]
- 1923年(大正12年)11月10日 - 創立50周年記念式典挙行。
- 1924年(大正13年)2月8日 - 御真影奉戴。(昭和3年10月22日奉還)[2]
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 金浜尋常小学校(現:青森市立金浜小学校)学区の上野地区を編入。[2]
- 1928年(昭和3年)10月23日 - 御真影拝戴。[2]
- 1935年(昭和10年)11月10日 - 校舎竣工落成式挙行。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により「荒川国民学校」に改称。[2]
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により「荒川村立荒川小学校」に改称。奉安殿取り壊し[2]。同日、荒川中学校を並置し、高等科生を中学校に移籍。
- 1948年(昭和23年)5月10日 - 学校給食開始。
- 1949年(昭和24年)4月10日 - 荒川中学校新校舎が竣工し、分離独立。
- 1955年(昭和30年)
- 1971年(昭和46年)4月12日 - 完全給食開始。
- 1974年(昭和49年)11月10日 - 創立100周年記念式典挙行。
- 1988年(昭和63年)7月17日 - 荒川字柴田92番5号(現在地)に、オープンスペースを取り入れた新校舎が竣工し、移転。
- 1990年(平成2年)
- 2010年(平成22年)4月1日 - 「青森市立金浜小学校」閉校に伴い、金浜小学校の学区を編入[3]。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 「青森市立野沢小学校」閉校に伴い、野沢小学校の学区を編入[3]。
児童数
[編集]学年 | 1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 特別支援 | 分教室 | 合計 |
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学級 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | 1 | 11 |
児童 | 22 | 14 | 23 | 30 | 24 | 28 | 13 | 5 | 159 |
教育目標
[編集]- 学び合う子
- 思いやりのある子
- 健康でたくましい子
学区
[編集]- 出典[4]
- 八ッ役(字芦谷、字上林)
- 金浜
- 大別内
- 野木
- 荒川(字柴田、字筒井、字松尾、字寒水沢、字品川、字南荒川山国有林酸ヶ湯沢、字横倉、字南荒川山、字成瀬の一部、字藤戸の一部)
- 上野
- 牛館
- 第二問屋町3丁目(一部)
- 第二問屋町4丁目
- 小館
- 野沢
- 小畑沢
- 入内
進学先中学校
[編集]周辺
[編集]- 青森県道27号青森浪岡線
- 青森県道120号荒川青森停車場線
- 上記2路線は、学校付近で交差する。
- 青森朝日放送 - 上記県道交差点付近に位置する。
- デイサービスセンターはづき
- ほかは、田が広がっているほか、住宅や工場が点在する。
ABAとの関係
[編集]- 1991年(平成3年)10月1日に開局した青森朝日放送 (ABA) で、開局当初のオープニングで空撮による「ABA」の人文字が流れたが、その人文字の空撮は、ABA放送センター(当時)の最寄にある当校で行われた。
- また、現在ではABAの天カメ(2008年(平成20年カメラ)11月新設、以前はNTT青森支店に設置)に当校校舎が映る場合がある。
- 局から近い関係で、入学・卒業式や始・終業式のニュースは、ABAが当校を取材することが多い。
出身著名人
[編集]- 柴田やす - 1886年(明治19年)入学、1891年(明治24年)卒業。学校法人柴田学園創始者、東北女子短期大学初代学長。
- 郡場寛 - 京都大学名誉教授、弘前大学長、植物学者。造道小学校から転校してきて、柴田やすと同期であった。
- 山谷亨 - 映画監督・演出家。4年生で八戸市立長者小学校から転校。白鳥鴻彰の玄孫。
アクセス
[編集]- 青森市営バス・青森市市バスで、「荒川柴田」停留所より、
- JRバス東北青森空港線で、「青森朝日放送局前」停留所より、
- 青森駅前行のりば(降車専用)から、県道120号線経由で、徒歩約410m・約6分。
- 青森空港行のりば(乗車専用)から、県道120号線経由で、徒歩約440m・約7分。
- 青森自動車道青森中央ICから約2km・車で約4分。
- JR東日本・青い森鉄道青森駅から、
- 車で約6km・約12分。
- 上述の青森市営バスに乗車し、「荒川柴田」停留所下車後、徒歩。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『昭和25年荒川村勢一斑』p.29
- ^ a b c d e f g h i j k l 『昭和25年荒川村勢一斑』p.30
- ^ a b 青森市 教育・生涯学習・文化・芸術・スポーツ 教育委員会 通学区域再編 基本計画に基づく取組(平成20年度~)
- ^ 通学区域一覧(小学校) (PDF) - 青森市教育委員会
参考資料
[編集]- 昭和26年3月調製『昭和25年荒川村勢一班』(青森県東津軽郡荒川村役場)
- 『新青森市史 別編教育(別巻) 年表・学校沿革』(青森市・2000年3月発行)「学校沿革 (一)小学校」172頁~173頁「荒川小学校 変遷」