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青森県道40号青森田代十和田線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
主要地方道
青森県道40号標識
青森県道40号 青森田代十和田線
主要地方道 青森田代十和田線
制定年 1961年
開通年 未調査
起点 青森市北緯40度48分36.9秒 東経140度45分45.7秒
終点 十和田市北緯40度35分12.9秒 東経141度7分32.9秒
接続する
主な道路
記法
国道7号
国道103号
国道394号
国道102号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
青森市田茂木野付近

青森県道40号青森田代十和田線(あおもりけんどう40ごう あおもりたしろとわだせん)は青森県青森市奥野から十和田市三本木に至る県道主要地方道)である。

概要

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青森市奥野で青森県道27号青森浪岡線から分岐し、同市筒井で国道7号青森環状道路と交差、田代平(たしろたい)を経由して国道394号と交差した後、十和田市三本木で国道102号に接続する。途中の銅像茶屋付近から国道103号に至る枝線(火箱沢(ひばこさわ)林道)がある。

国道103号に平行し、青森市と十和田市や八戸市など県南地方を結ぶ代表的ルートの1つでもある。期は一部区間で通行止めとなる。

1902年明治35年)に起きた八甲田雪中行軍遭難事件で、遭難した連隊(歩兵青森第五連隊)が通過した道としても有名で、途中遭難現場には後藤伍長の銅像、また兵士たちの墓地や遭難資料館も沿線に存在している(八甲田雪中行軍遭難事件は1977年に高倉健北大路欣也三國連太郎主演による「八甲田山」として映画化。雪中行軍を成功させた歩兵弘前第三十一連隊もこの道を通過している。

田代平付近には、吹雪等で立ち往生した際の避難場所として、「東八甲田 雪みち避難所」が設けられている。

路線データ

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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

歴史

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路線状況

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冬期通行止め

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  • 青森市嘉瀬子内 - 青森市駒込(11月下旬 - 4月上旬)
  • 青森市田代十文字 - 十和田市増沢(11月下旬 - 4月下旬)
  • 青森市萱野茶屋 - 青森市田代十文字(12月中旬 - 3月中旬、18時 - 翌7時30分通行止)

地理

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交差する道路

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沿線施設など

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脚注

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  1. ^ a b c 県道の路線の認定”. 青森県 (1961年2月10日). 2014年5月24日閲覧。
  2. ^ s:道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 - 平成五年五月十一日建設省告示第千二百七十号、建設省

関連項目

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