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青盛常太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青盛 常太郎(あおもり つねたろう、1864年3月27日元治元年2月20日[1] - 没年不明)は、日本商人銀行家、広島県多額納税[2][3]家主[4][5]呉銀行取締役[6]。族籍は広島県平民[6]

経歴

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広島県呉市出身。青盛喜一郎の弟[6]高等小学校を出て、若いときはタバコ行商をしたり、商売をしていた[7]。また借家を建て、借家の収入で生活をした[7][注 1]分家して一家を創立する[6][注 2]

人物

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貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[1]

趣味は建築[2]。住所は呉市元町[1][2][8]本籍は呉市和庄町[2]

家族・親族

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青盛家
親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 呉新聞1925年8月8日号の「毎月二百圓以上の家賃が這入る家主」によると、青盛常太郎は「戸数52、家賃1225円」である[4]
  2. ^ 分家した年は『大衆人事録 第3版』には1884年[5]、『人事興信録 第7版』には1894年[6]とある。

出典

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  1. ^ a b c 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月26日閲覧。
  2. ^ a b c d 『広島県紳士録 昭和8年版』116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月26日閲覧。
  3. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』広島県65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月2日閲覧。
  4. ^ a b 砂本文彦「呉鎮守府水道並びに呉市水道布設に伴う旱害補償交渉と軍港都市呉の住宅地形成」2643頁。日本建築学会計画系論文集2013年78巻694号。2022年8月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『大衆人事録 第3版』ア44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月2日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第7版』あ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月26日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 日本における統計学の発展 第11巻 話し手 青盛和雄 聞き手 内海健壽(1980年11月11日、12日)、3、9頁。広島県社会福祉会館にて。
  8. ^ a b 『芸南古今人物誌』386頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月2日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第42版』あ58頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
  • 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 『芸南古今人物誌』芸南新聞社、1966年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第42版 上』人事興信所、2003年。