静岡英和女学院中学校・高等学校
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静岡英和女学院中学校・高等学校 | |
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北緯34度58分53.7秒 東経138度22分46.7秒 / 北緯34.981583度 東経138.379639度座標: 北緯34度58分53.7秒 東経138度22分46.7秒 / 北緯34.981583度 東経138.379639度 | |
過去の名称 |
静岡女学校 静岡英和女学校 静陵高等女学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人静岡英和学院 |
校訓 | 隣人を愛せよ |
設立年月日 | 1887年(明治20年)11月26日 |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード |
D122310000197 高等学校) C122310000073 (中学校) | (
高校コード | 22517H |
所在地 | 〒420-0866 |
静岡県静岡市葵区西草深町8番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
静岡英和女学院中学校・高等学校(しずおかえいわじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、静岡市葵区にある私立女子中学校・高等学校(中高一貫校)。学校法人静岡英和学院が設置し、キリスト教学校教育同盟に加盟している。
沿革
[編集]- 1887年11月26日 私立「静岡女学校」として開校。静岡県初の女学校。創立者は静岡県令関口隆吉と静岡メソジスト教会牧師平岩愃保ら。初代校長はミスM・Jカニングハム。
- 1888年 静岡市西草深町81番地に校舎完成。
- 1896年 明治29年校舎完成。
- 1902年 明治35年校舎完成。寄宿舎を整備。
- 1903年 「静岡英和女学校」に改称。付属幼稚園開園。
- 1909年 付属小学校開校。(1925年閉校)
- 1924年 現行制服制定。
- 1926年 昭和元年校舎完成。
- 1940年 「静陵高等女学校」に改称。
- 1944年 明治29年校舎、静岡市西草深町25番地に移築。
- 1945年 静岡大空襲により明治35年校舎のみを残し焼失。
- 1947年 静岡英和女学院中学校開校。
- 1948年 静岡英和女学院高等学校発足。
- 1945年 昭和24年校舎完成。
- 1949年 講堂完成。
- 1950年 旧英和女学院宣教師館完成。
- 1952年 昭和26・27年校舎完成。
- 1960年 昭和35年校舎完成。
- 1961年 校歌制定。
- 1963年 昭和38年校舎完成。
- 1966年 静岡英和女学院短期大学開校。
- 1969年 明治35年校舎解体。楓寮完成。
- 1974年 昭和49年校舎完成。
- 1982年 体育館完成。
- 1999年 新校舎完成。
- 2002年 静岡英和学院大学開校。
- 2016年 医師歯科医薬剤師のコース制。海外貢献目指すグローバル制。 英語以外の言語を学ぶ英和学や女性学等の講座開講。学院の名称を「静岡英和学院」と改称。
- 2017年 総合型中学入試。2018年度入学の中学英語入試。算数と英語のどちらかを選択。
- 2018年 選択制で英語入試。(中学)
- 2022年 高校の指導要領の改訂に伴い、中学生から高校1年生における定期テストを廃止し、単元における小テストを実施する旨を明らかにした[1]。
歴代校長
[編集]- 初代校長 ミス・マーサ・ジャネット・カニングハム(Martha Janet Cunigham)宣教師[2]
- 第2代 ミス・フランシス・ケイト・モーガン(Frances Kate Morgan)宣教師[3]
- 第3代 ミス・メリー・エイダ・ロバートソン(Mary Ada Robbertson)宣教師 (山梨英和女学校校長・東京女子大学理事長)[4]
- 第4代 ミス・マーサ・ジャネット・カニングハム(Martha Janet Cunigham)宣教師
- 第5代 ミス・エリザベス・ヘルバート・アルコーン(Elizabeth Herbert Alcorn)宣教師[5]
- 第6代 ミス・マーサ・ジャネット・カニングハム(Martha Janet Cunigham)宣教師
- 第7代 ミス・マイラ・アビー・ビーゼー(Myra Abbie Veazey)宣教師 (東洋英和女学院校長) [6]
- 第8代 ミス・アリス・エリザ・チンバレーク(Alice Eliza Timberlake)宣教師[7]
- 第9代 ミス・マイラ・アビー・ビーゼー(Myra Abbie Veazey)宣教師 (東洋英和女学院校長) [6]
- 第10代 ミス・オリビア・キャサリン・リンゼー(Olivia Catherine Lindsay)宣教師[8]
- 第11代 ミス・イザベラ・ガンブラック(Isabel Govenlock)宣教師[9]
- 第14代 室田有
- 第15代 松本卓夫
- 第16代 小川わか
- 第17代 榎本愛子
- 第18代 宗知信
- 第19代 松縄善三郎
- 第20代 冨田多嘉子
- 第21代 近藤康雄
- 第22代 吉田幸一
- 第23代 大橋邦一
歴代校主
[編集]- 初代校主 佐倉信武(静岡高等英華学校の設立者・創立者 関口隆吉の甥)
- 第2代 蜂谷定憲(静岡県尋常師範学校長)
- 第3代 関口隆正(創立者 関口隆吉の聟養子)
- 第4代 重野謙造(静岡県尋常師範学校教師)
- 第5代 藤波甚助(静岡英語専門学校創立者)
1902年(明治35年) 校主制廃止
歴代理事長
[編集]- 第2代 廣瀬修造(静岡市会議長・静岡教会幹事長)
- 第3代 長野弥(東洋英和女学院院長)
- 第4代 深町正勝(静岡教会第16代目牧師)
- 第5代 宗知信(静岡英和女学院第18代校長)
- 第6代 辻昭(東海大学短期大学部教授)
- 第7代 花森憲一
- 第8代 石井博文
著名な卒業生
[編集]ヴォーリズ建築
[編集]静岡英和女学院昭和元年校舎
[編集]静岡英和女学院昭和元年校舎は、静岡県静岡市葵区西草深町にあるヴォーリズ建築。その名の通り1926年(大正15年)にウイリアム・メレル・ヴォーリズの設計により当時としては珍しい[要出典]実験室等を備えた校舎。白いモルタルの壁に赤い屋根やアーチの正面玄関が特徴[要出典]。1945年(昭和20年)6月19日の静岡大空襲で焼失。その後1999年(平成11年)に一粒社ヴォーリズ建築事務所により礼拝堂が竣工され2001年(平成13年)にしずおか市民景観大賞優秀賞受賞。
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昭和元年校舎 外観
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昭和元年校舎1F設計図.
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昭和元年校舎2F
旧英和女学院宣教師館
[編集]旧英和女学院宣教師館は、1950年に建てられたヴォーリズ建築。現在は宣教師館ではなく、フランス料理レストランとして使われている。2016年2月25に登録有形文化財となった。
アクセス
[編集]- しずてつジャストライン大浜麻機線「麻機行き」「麻機北行き」・県立病院高松線「県立総合病院行き」乗車、「英和女学院前」停留所から、徒歩1分
脚注
[編集]- ^ “増えるか?定期テストをやめる高校 生徒「最初はうれしかったけど」 静岡市:テレビ静岡” (2022年4月22日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト教会宣教師辞典』.. 教分館. p. 60-61
- ^ ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. p. 183
- ^ 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. (1996年2月25日). p. 215
- ^ ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. p. 2
- ^ a b ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. p. 277
- ^ ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. p. 268
- ^ ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. p. 158
- ^ ジャン・W・クランメル (1996年2月25日). 『来日メソジスト宣教師事典』. 教文館. p. 97
参考図書
[編集]- 静岡英和女学院百年史
- 飯田, 宏『静岡県英学史』講談社、1967年。
- ジャン・W・クランメル『来日メソジスト宣教師事典』教文館、1996年2月25日
- 東海教区編纂小委員会『東海教区史』日本基督教団東海教区、2003年5月20日
関連項目
[編集]上記2校は姉妹校である。なお横浜英和学院および千葉英和高等学校は姉妹校ではない。
上記1校は海外における姉妹校である。他にも数校存在する。