コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

韓巌回

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

韓 巌回(ハン・アムェ、朝鮮語: 한암회/韓巖回1900年7月17日 - 1975年5月25日)は、日本統治時代の朝鮮ジャーナリスト大韓民国政治家制憲韓国国会議員[1]本貫清州韓氏[2]

韓 厳回(ハン・オムェ、한엄회/韓嚴回)の表記もある[3]。1960年代以降の報道では韓 邯錫または韓 甘錫(ハン・ガムソク、한감석)と紹介されていた[4][5]

経歴

[編集]

ソウル市鐘路出身。養正高等普通学校、九州帝国大学農学部卒。日本統治時代は満州国および中華民国で活動しており、南満州農村天一農場農村振興会連合会理事、日大学院院長、上海中華日報社河南省支社長を務めた。1942年、蒋介石の統治区域で新聞の輸送をした際に日本兵に逮捕され、北京日本軍監獄で4か月間服役した。解放後は大韓独立促成国民会尚州郡支部長、尚州地区司法保護委員会常務委員、制憲国会議員などを務めた[1][6]

朝鮮戦争時に北朝鮮拉致されたとされるが[1]、その後は何らかの手段で1963年以前にまた韓国に戻った[4]。1975年5月25日、ソウル市西大門区の自宅で老衰のため死去。享年77[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年9月11日閲覧。
  2. ^ (10)청주 한씨(淸州韓氏)-642,992명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月6日). 2024年9月11日閲覧。
  3. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年9月15日閲覧。
  4. ^ a b 前議員(전의원)54名聲明(명성명) 與黨(여당)에加入(가입)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1963年1月12日). 2024年9月11日閲覧。
  5. ^ a b 制憲(제헌)의원韓邯錫(한한석)씨”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1975年5月27日). 2024年9月11日閲覧。
  6. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年9月11日閲覧。