須々木村
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須々木村(すすきむら)は、かつて静岡県榛原郡南部(現・牧之原市南端)にあった村である。現在、牧之原市の南部の区である須々木区として同市に所属している。
名称
[編集]「須々木」の由来
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歴史
[編集]周辺状況
[編集]- 縄文時代:牧之原台地周辺に人が住み始める[1]。
- 奈良時代から中世:相良郷・大江郷(現在の牧之原市大江)が相良荘となる遠江国榛原郡[1]。
- 平安時代中期以降:相良牧が存在[1]。
- 平安時代後期:相良氏という武士団が台頭(湊を支配し、海上貿易に影響力をもった豪族)[2]。
- 江戸時代 昔、鬼女(新田)は須々木村の一部だった。現在、鬼女新田区と須々木区は別区となっている[3]。
- 1758年(宝永3年):田沼意次が大名として相良藩の領地を統治[1]。
- 1700年代:平賀源内が須々木原に住んでいたとされる(この時代には須々木村があったことが確認されている)[4]。
- 伊能忠敬が測量を行う[5]。
- 1854年 安政東海地震発生。震度6近い打撃を受ける。この頃には鬼女新田村と須々木村は別の村として存在していた[6]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により榛原郡相良町に合併、須々木区となる。[7]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 新たな相良町に所属(相良町と菅山村の合併による)[8]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 新たな相良町に所属(相良町、萩間村、地頭方村の合併による)[9]。
- 2005年(平成17年)10月11日 - 牧之原市に所属(相良町と榛原郡榛原町の合併による)。
政治
[編集]地理
[編集]- 周囲を南から落居区、比木区(御前崎市)、鬼女新田区(御前崎市)、上朝比奈区(御前崎市)、菅ヶ谷区、大沢区、波津区と隣接している。[11]
- 北部の「原」地域は牧之原台地の一部である[12]。
- 南部は海に面し、須々木海岸を有し、一ヶ所の堤防がある。
- 南北に二級河川の須々木川が流れている。
小字
[編集]- 地代
- 前浜
- 深澤
- 小名ヶ谷
- 須々木原
交通
[編集]- 須々木インターチェンジ(国道150号バイパス)
- 国道150号
- しずてつジャストラインのバス停が南部には、地代口・須々木・須々木海岸、北部には、七曲・園原・原公民館・京松原・中原公民館前に存在する[13]。
- 1926年(大正15年)4月27日、藤相鉄道(後の静岡鉄道駿遠線)の相良-地頭方間の開業により須々木駅が設置され、1968年(昭和43年)8月22日の大井川-堀野新田間廃止まで存在していた。
人口
[編集]- 1402人(世帯数417。2014年3月31日時点)[14]
経済
[編集]かつて、須々木海岸での塩作りが盛んであった。
文化
[編集]教育
[編集]- 須々木幼稚園
- 牧之原市立あおぞら保育園
- かつて、須々木小学校が存在していた。
公共施設
[編集]- 牧之原市相良公民館
- いいら
- 須々木グラウンド
社寺
[編集]伝統民芸
[編集]祭り
[編集]文化財
[編集]牧之原市指定有形文化財
静岡県指定天然記念物
脚注
[編集]- ^ a b c d 牧之原市, 牧之原市, (2010)
- ^ 牧之原市, 牧之原市, (2010)
- ^ 鬼女という村名, 川原崎 鬼山, (2010)
- ^ 平賀源内と相良凧, -, (2010)
- ^ 伊能忠敬の測量, 村井陽一, (2010)
- ^ 1854 年安政東海地震の静岡県南部の被害と表層地質, 中村操, (2010)
- ^ 市区町村変遷情報 詳細データ, M.Higashide, (2010)
- ^ 市区町村変遷情報 詳細データ(明治以前), M.Higashide, (2010)
- ^ 市区町村変遷情報 詳細データ(明治以後), M.Higashide, (2010)
- ^ -統計, 牧之原市, (2010)
- ^ 静岡県牧之原市須々木の地図, Mapion, (2010)
- ^ さらに詳しく 牧之原台地の開拓と茶, 関東農政局, (2010)
- ^ バス路線図, 静岡鉄道, (2010)
- ^ 平成26年度版 牧之原市統計書 (PDF)