須江村
表示
すえむら 須江村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月21日 |
廃止理由 |
新設合併 須江村、北村、鹿又村、広淵村、前谷地村 → 河南町 |
現在の自治体 | 石巻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 桃生郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.47 km2. |
総人口 |
2,943人 (『宮城県町村合併誌』、1955年3月20日) |
隣接自治体 | 桃生郡:鹿又村、前谷地村、広淵村、赤井村、石巻市 |
須江村役場 | |
所在地 | 宮城県桃生郡須江村 |
座標 | 北緯38度28分26秒 東経141度14分32秒 / 北緯38.4739度 東経141.2422度座標: 北緯38度28分26秒 東経141度14分32秒 / 北緯38.4739度 東経141.2422度 |
ウィキプロジェクト |
須江村(すえむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県桃生郡の西部に存在していた村。現在の石巻市須江にあたる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、須江村は赤井村・大窪村・塩入村・北村・広淵村と合併して深谷村の一部となる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 深谷村が須江村・赤井村・大塩村・北村・広淵村の5か村に分裂したため、新制の須江村が発足。
- 1955年(昭和30年)3月21日 - 北村・広淵村・鹿又村・前谷地村と合併し、河南町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 亀山熊治郎 | 明治29年(1896年)4月 | 明治30年(1897年)5月 | |
2 | 安倍山平 | 明治30年(1897年)5月21日 | 明治34年(1901年)6月2日 | |
3 | 桑島長太郎 | 明治34年(1901年)6月3日 | 明治37年(1904年)3月23日 | |
4 | 佐藤政之助 | 明治37年(1904年)4月4日 | 明治39年(1906年)1月29日 | |
5 | 桑島長太郎 | 明治39年(1906年)2月15日 | 明治41年(1908年)3月21日 | 再任 |
6 | 橋浦正太郎 | 明治41年(1908年)4月1日 | 明治42年(1909年)1月7日 | |
7 | 安倍山平 | 明治42年(1909年)1月27日 | 明治42年(1909年)11月7日 | 再任 |
8 | 寺島貞吉 | 明治42年(1909年)11月13日 | 明治44年(1911年)1月22日 | |
9 | 亀山熊治郎 | 明治44年(1911年)2月10日 | 明治45年(1912年)1月30日 | 再任 |
10 | 阿部友太郎 | 明治45年(1912年)2月3日 | 大正5年(1916年)2月12日 | |
11 | 桑島長太郎 | 大正5年(1916年)2月26日 | 大正7年(1918年)12月6日 | 再任 |
12 | 亀山恭助 | 大正7年(1918年)12月11日 | 大正8年(1919年)1月7日 | |
13 | 阿部友太郎 | 大正10年(1921年)5月11日 | 大正14年(1925年)5月19日 | 再任 |
14 | 寺島貞吉 | 大正14年(1925年)6月16日 | 昭和2年(1927年)7月16日 | 再任 |
15 | 石崎泰三郎 | 昭和2年(1927年)7月16日 | 昭和5年(1930年)5月5日 | |
16 | 三浦豊之助 | 昭和5年(1930年)6月18日 | 昭和16年(1941年)10月24日 | |
17 | 阿部啓助 | 昭和16年(1941年)10月27日 | 昭和18年(1943年)5月17日 | |
18 | 佐藤吉之助 | 昭和18年(1943年)5月21日 | 昭和21年(1946年)11月30日 | |
19 | 橋浦勝見 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和26年(1951年)4月4日 | |
20 | 市川康治 | 昭和26年(1951年)4月23日 | 昭和30年(1955年)3月20日 |
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)