赤井村 (宮城県)
表示
あかいむら 赤井村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年5月3日 |
廃止理由 |
新設合併 赤井村、矢本町、大塩村 → 矢本町 |
現在の自治体 | 東松島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 桃生郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 11.58 km2. |
総人口 |
4,458人 (『宮城県町村合併誌』、1955年5月2日) |
隣接自治体 | 桃生郡:河南町、矢本町、大塩村、石巻市 |
赤井村役場 | |
所在地 | 宮城県桃生郡赤井村 |
座標 | 北緯38度26分32秒 東経141度13分55秒 / 北緯38.44233度 東経141.23189度座標: 北緯38度26分32秒 東経141度13分55秒 / 北緯38.44233度 東経141.23189度 |
ウィキプロジェクト |
赤井村[1](あかいむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県桃生郡にあった村。桃生郡の西南部[1]。現在の東松島市赤井にあたる。
地理
[編集]- 河川:定川
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、赤井村は大窪村・塩入村・北村・須江村・広淵村と合併して深谷村の一部となる[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 深谷村が大塩村・北村・須江村・広淵村の5か村に分裂したため、新制の赤井村が発足[2]。
- 1955年(昭和30年)5月2日 - 矢本町・大塩村と合併し、新制の矢本町となる[2]。
行政
[編集]首長
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 金成三郎 | 明治29年(1896年)5月 | 明治41年(1908年)6月 | 元・深谷村長 |
2 | 斎藤仁太郎 | 明治41年(1908年)6月 | 大正4年(1915年)3月 | |
3 | 本田勉 | 大正4年(1915年)4月 | 大正5年(1916年)4月 | |
4 | 斎藤仁太郎 | 大正5年(1916年)4月 | 大正9年(1920年)4月 | 再任 |
5 | 佐々木繁治 | 大正9年(1920年)9月 | 大正11年(1922年)4月 | |
6 | 渥美市太郎 | 大正11年(1922年)5月 | 昭和5年(1930年)5月 | |
7 | 川元房吉 | 昭和5年(1930年)5月 | 昭和21年(1946年)5月 | |
8 | 佐藤三平 | 昭和21年(1946年)7月 | 昭和22年(1947年)1月 | |
9 | 菊地千代治 | 昭和22年(1947年)4月 | 昭和30年(1955年)5月2日 |
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
村内はほとんど沖積層にて土地低平、水田がよく開け、米は当村の中心的産物である[1]。また繭の産は相当に見るべきものがある[1]。『大日本篤農家名鑑』によれば、赤井村の篤農家は、「金成三朗、千葉四郎、本田勉、渡邊庄三郎、高橋直治、斎藤仁太郎」などがいた[3]。
交通
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 『日本地名大辞典 第1巻』228頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月8日閲覧。
- ^ a b c “第四 市町村変遷等の状況”. 公益財団法人宮城県市町村振興協会. 2021年2月19日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』435頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 日本書房編『日本地名大辞典 第1巻』日本書房、1937-1938年。
- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)。