願成寺 (伊賀市)
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願成寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 三重県伊賀市上野農人町354 |
位置 | 北緯34度46分5.6秒 東経136度08分12.3秒 / 北緯34.768222度 東経136.136750度座標: 北緯34度46分5.6秒 東経136度08分12.3秒 / 北緯34.768222度 東経136.136750度 |
山号 | 遍光山 |
院号 | 愛染院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 愛染明王 |
創建年 | 文治・建久年間(1185年 - 1199年) |
開基 | 鏡覚阿闍梨 |
中興年 | 寛文年間(1661年 - 1673年) |
中興 | 実恵 |
正式名 | 遍光山愛染院願成寺 |
別称 | 愛染院 |
札所等 |
西国愛染十七霊場 11番札所 三重四国八十八箇所 31番札所 伊賀四国八十八箇所 78番札所 |
文化財 | 芭蕉翁故郷塚 |
法人番号 | 7190005005721 |
願成寺(がんじょうじ)は、三重県伊賀市上野農人町にある、真言宗豊山派の仏教寺院。山号は遍光山(へんこうざん)、院号は愛染院(あいぜんいん)。本尊は愛染明王。
歴史
[編集]文治・建久年間(1185年 - 1199年)京都醍醐寺の寛深僧正が、後鳥羽天皇(在位1183年 - 1198年)の病気平癒祈願を、この地で行い平癒したことにより、天皇の命で寛深の信憑する、鏡覚阿闍梨を開基として、堂宇を建立したと伝わるが、天正の兵火により焼失している。その後寛文年間(1661年 - 1673年)に、実恵法印により再興され現在に至っている。
松尾芭蕉故郷塚
[編集]当山は俳諧松尾芭蕉家代々の菩提寺となっている。芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日、旅の途中大坂で亡くなり、門弟らにより大津の義仲寺に葬られ、伊賀上野の門弟 服部土芳(蓑虫庵主)と貝増卓袋が、形見に芭蕉の遺髪を持ち帰り、松尾家の墓所に納め、後に故郷塚が築かれた。現在の場所に移されたのは芭蕉50回忌の元文3年 (1738年)の時と伝えられている。芭蕉没後伊賀の門弟達により、毎年「しぐれ忌」を催し今日まで続いている。ここ故郷塚には尾崎紅葉、川端康成ら多くの文人墨客が訪れている[1]。
文化財
[編集]伊賀市指定記念物
[編集]年中行事
[編集]周辺
[編集]- 松尾芭蕉生家
- 上野城(上野公園)
アクセス
[編集]- 伊賀鉄道広小路駅より北東へ約0.4km
- 名阪国道 上野東インターチェンジより北へ約2.3km
- 名阪国道中瀬インターチェンジより西へ約2.5km
脚注
[編集]- ^ 伊賀市役所 故郷塚(2010年2月1日閲覧。)
- ^ 伊賀市教育委員会 市指定・登録文化財一覧表(2010年2月2日閲覧。)
参考文献
[編集]- 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会、80 - 81頁。