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願成寺 (伊賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
願成寺

本堂
所在地 三重県伊賀市上野農人町354
位置 北緯34度46分5.6秒 東経136度08分12.3秒 / 北緯34.768222度 東経136.136750度 / 34.768222; 136.136750座標: 北緯34度46分5.6秒 東経136度08分12.3秒 / 北緯34.768222度 東経136.136750度 / 34.768222; 136.136750
山号 遍光山
院号 愛染院
宗派 真言宗豊山派
本尊 愛染明王
創建年 文治・建久年間(1185年 - 1199年)
開基 鏡覚阿闍梨
中興年 寛文年間(1661年 - 1673年)
中興 実恵
正式名 遍光山愛染院願成寺
別称 愛染院
札所等 西国愛染十七霊場 11番札所
三重四国八十八箇所 31番札所
伊賀四国八十八箇所 78番札所
文化財 芭蕉翁故郷塚
法人番号 7190005005721 ウィキデータを編集
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入口(山門)

願成寺(がんじょうじ)は、三重県伊賀市上野農人町にある、真言宗豊山派の仏教寺院。山号は遍光山(へんこうざん)、院号は愛染院(あいぜんいん)。本尊愛染明王

歴史

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文治建久年間(1185年 - 1199年)京都醍醐寺の寛深僧正が、後鳥羽天皇(在位1183年 - 1198年)の病気平癒祈願を、この地で行い平癒したことにより、天皇の命で寛深の信憑する、鏡覚阿闍梨を開基として、堂宇を建立したと伝わるが、天正の兵火により焼失している。その後寛文年間(1661年 - 1673年)に、実恵法印により再興され現在に至っている。

松尾芭蕉故郷塚

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当山は俳諧松尾芭蕉家代々の菩提寺となっている。芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日、旅の途中大坂で亡くなり、門弟らにより大津の義仲寺に葬られ、伊賀上野の門弟 服部土芳(蓑虫庵主)と貝増卓袋が、形見に芭蕉の遺髪を持ち帰り、松尾家の墓所に納め、後に故郷塚が築かれた。現在の場所に移されたのは芭蕉50回忌の元文3年 (1738年)の時と伝えられている。芭蕉没後伊賀の門弟達により、毎年「しぐれ忌」を催し今日まで続いている。ここ故郷塚には尾崎紅葉川端康成ら多くの文人墨客が訪れている[1]

文化財

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伊賀市指定記念物

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  • 芭蕉翁故郷塚 (史跡)昭和30年(1955年)8月25日指定[2]

年中行事

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  • 2月節分の日 - 節分会
  • 4月8日 - 花まつり
  • 8月26日 - 六夜会式、愛染明王縁日
  • 10月12日 - 芭蕉祭墓前供養
  • 春秋彼岸 - 彼岸会、無縁仏供養

周辺

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  • 松尾芭蕉生家
  • 上野城(上野公園)

アクセス

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脚注

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  1. ^ 伊賀市役所 故郷塚(2010年2月1日閲覧。)
  2. ^ 伊賀市教育委員会 市指定・登録文化財一覧表(2010年2月2日閲覧。)

参考文献

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  • 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会、80 - 81頁。

関連項目

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外部リンク

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