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飛隼丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飛隼丸
基本情報
艦種 運送船[1]
艦歴
就役 明治元年(1868年)捕収、後購入[2]
その後 明治4年7月12日(1871年)イギリス人に交付[2]
要目
排水量 1,000英トン[1]
トン数 約241トン[3]
長さ 110 ft (33.53 m)[4]
または全長:110尺06[1](33.35m)[注釈 1]
24 ft (7.32 m)[4]
または24尺[1](7.27m)[注釈 1]
深さ 18尺6[1](5.64m)
ボイラー ロコモティブ・ボイラー[3](汽車)
推進 スクリュー[3]
出力 70名馬力[1][4]
帆装 2[1]
燃料 炭団:336,000[1]
航続距離 燃料消費:15,000斤/日[1]
テンプレートを表示

飛隼丸(ひじゅんまる)は日本海軍の運送船[5] (軍務官直轄の運輸船[4])。

(はやぶさ)はの一種で、飛隼は「空を飛ぶ隼」のこと[2]

艦歴

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元はデンマーク人デュース所有の気船PEMBROKE[6](ペンブローケ[7])。 慶応4年2月(1868年2月から3月頃)に南部藩が購入し、飛隼丸と命名した[6]。 南部藩が徳川幕府側についたため[7]、 閏4月20日(1868年6月10日)に浦賀で捕獲された[8]。 捕獲の日付は『記録材料・海軍省報告書第一』にメモ書きで「八月ハ閏四月廿日ノ誤謬」とあり、それによったが[8]、 出典により4月、5月、8月(何れも旧暦)と違いがある。

  • 明治元年4月に浦賀で捕獲(『日本近世造船史 明治時代』1911年)[4]
  • 明治元年8月に浦賀で捕収(『日本海軍艦船名考』1928年)[2]
  • 慶応4年5月23日浦賀で接収、8月に艦籍編入(『聯合艦隊軍艦銘銘伝』1993年)[7]
  • 明治元年8月浦賀で捕獲、9月20日正式購入を決定(中川努「主要艦艇艦歴表」1994年)[6]

購入代金21,000[7]のうち、支払い未済みの10,000両を軍務官が支払い所有外国人から購入した[4]

戊辰戦争では陸兵輸送に従事した[6]

明治2年に「筑前ヘ御預 蒸気運漕 飛隼丸」の記録が残る[9]

明治3年8月から9月、横須賀製鉄所で機関の修理が行われた[10]。 同年10月に東伏見宮と側近が上京のために大阪まで飛隼丸が使用された[11]。 機関の不具合が続いていたようで[12] 12月15日より横須賀で修理の予定とされている[13]

明治4年2月、大坂丸と交代のために品海から横浜港へ出張した[14]。 5月の検査では破損や腐食の箇所があり、約13,000で修理を加えても艦の寿命は後5年程度と見積もられた[15]。 同年7月12日(1871年9月6日)に「東京丸」購入代金(60,000円+飛龍丸飛隼丸行速丸の3隻で80,000円相当[16])の一部としてイギリス人に交付された[3][7]

船長

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 『日本海軍史 第7巻』によると長さ34.3m、幅7.5m。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i #M1-M9海軍省報告書画像7、明治元年戊辰艦船総数表
  2. ^ a b c d #艦船名考(1928)p.14「飛隼 ひじゆん Hizyun.」
  3. ^ a b c d #M4公文類纂26/東京丸御買入の件弁官再申出画像11-12、飛隼丸売渡証書
  4. ^ a b c d e f #日本近世造船史明治(1973)p.174
  5. ^ #近世帝国海軍史要(1974)p.883
  6. ^ a b c d 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.32、飛隼『ひじゅん』
  7. ^ a b c d e #銘銘伝(2014)p.183、飛隼
  8. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像4-6、明治元年戊辰(慶応4年9月8日改元)軍防事務局 軍務官。
  9. ^ #M2公文類纂拾遺完/甲鉄艦外17艘艦船調画像1
  10. ^ #M3公文類纂10/飛準丸修復の義に付同船長へ達画像1-2。#M3公文類纂10/飛準丸修復の件回答画像1-2。
  11. ^ #M3公文類纂9/東伏見宮御上京に付大阪迄御乗艦云々画像1-2、類第388、艦船往復留90「東伏見宮御上京ニ付大阪迄其艦ヘ御乗込相成間可然御取計可有之候尤御人員ハ左之通ニ有り之宮ハ明朝小蒸気ニテ御乗船ニ相成候筈御荷物ハ今暁ニモ宰領差添海軍用所乗陸宿迄被為送候ニ付御心得可有之此段申入候也 十月十四日 東伏見宮 近習四人 下部一人 両掛ケ三荷 尚々船中賄事之儀ハ御頼相成候間是又為御様知申入候也 十月十四日 兵部省 飛隼丸 船長御中 士官」
  12. ^ #M3公文類纂10/諸願伺 12月 飛準丸修復云々同船長より伺画像1-2
  13. ^ M3公文類纂9/横浜港往復 12月 飛準大阪両船の内至急廻船の義の件回答画像1
  14. ^ #M4公文類纂24/横濱大坂丸と交代の件飛準丸達画像5、会計司諸達67「飛隼丸 横濱出張大阪丸ト交代之儀相達候間此段為心得相達候也 辛未二月十三日 兵部省 会計司」
  15. ^ #M4公文類纂25/行速外1船修復又は賣拂代等の件造船局答画像1
  16. ^ #M1-M9海軍省報告書画像18、明治4年7月。
  17. ^ #M1-M9海軍省報告書画像12、明治3年3月。
  18. ^ 『日本海軍史』第9巻、86頁。
  19. ^ #M4公文類纂11/福島弥太六甲鉄艦長代外数件達画像1-2、海軍所達留169「兼坂熊四郎 飛隼丸船長申付候事 辛未五月十七日 兵部省」
  20. ^ #M5公文類纂23/癸3号大日記 兼坂肇申出 免職に付賑恤金御渡方画像1

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。 (国立公文書館)
    • 『公文類纂 明治2年 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 甲鉄艦外17艘艦船調』。Ref.C09090028000。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻9 本省公文 艦船部/艦船往復 10月 東伏見宮御上京に付大阪迄御乗艦云々飛準丸へ達』。Ref.C09090116000。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸達並雑記 9月 飛準丸修復の義に付同船長へ達』。Ref.C09090128600。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸所往復 9月 飛準丸修復の件回答』。Ref.C09090128700。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻10 本省公文 艦船部/諸願伺 12月 飛準丸修復云々同船長より伺』。Ref.C09090131500。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻11 本省公文 黜陟部8/海軍諸達 福島弥太六甲鉄艦長代外数件達』。Ref.C09090287600。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻24 本省公文 艦船部/海軍諸達 横濱大坂丸と交代の件飛準丸達』。Ref.C09090385700。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻25 本省公文 艦船部/海軍所往復 行速外1船修復又は賣拂代等の件造船局答』。Ref.C09090396800。 
    • 『公文類纂 明治4年 巻26 本省公文 艦船部/弁官諸達 東京丸御買入の件弁官再申出』。Ref.C09090403800。 
    • 『公文類纂 明治5年 巻23 本省公文 理財部8止/癸3号大日記 兼坂肇申出 免職に付賑恤金御渡方』。Ref.C09110609200。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 

関連項目

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