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飯尾麒太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飯尾 麒太郎(いいお きたろう、1862年3月5日(文久2年2月5日[1][2]) - 1908年明治41年)2月6日[1][2][3])は、明治時代の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

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小松藩郷士・飯尾才右衛門、武川氏の長男として伊予国新居郡萩生村(中萩村、中萩町を経て現愛媛県新居浜市)に生まれる[1][2][4]。尾埼山人について漢学を修めた[1][2]1888年(明治21年)新居郡会議員に当選したのを皮切りに、愛媛県会議員を務めた[3]1898年(明治31年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月8日[5]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[3]

1888年(明治21年)5月、飯尾製糸場を設けて機械製糸を開始し、県内屈指の製糸工場となった[1][2]。その他、第百四十一国立銀行、西条銀行各頭取、伊予木綿取締役などを務めた[1][2][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『愛媛県史 人物』51-52頁。
  2. ^ a b c d e f 『愛媛県百科大事典』上、33-34頁。
  3. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 179頁.
  4. ^ 奥村 1900, 2頁.
  5. ^ 『官報』第4481号、明治31年6月9日。

参考文献

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