飯尾麒太郎
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飯尾 麒太郎(いいお きたろう、1862年3月5日(文久2年2月5日[1][2]) - 1908年(明治41年)2月6日[1][2][3])は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]小松藩郷士・飯尾才右衛門、武川氏の長男として伊予国新居郡萩生村(中萩村、中萩町を経て現愛媛県新居浜市)に生まれる[1][2][4]。尾埼山人について漢学を修めた[1][2]。1888年(明治21年)新居郡会議員に当選したのを皮切りに、愛媛県会議員を務めた[3]。1898年(明治31年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月8日[5]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[3]。
1888年(明治21年)5月、飯尾製糸場を設けて機械製糸を開始し、県内屈指の製糸工場となった[1][2]。その他、第百四十一国立銀行、西条銀行各頭取、伊予木綿取締役などを務めた[1][2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 奥村次郎 編『愛媛県紳士列伝 第1編』奥村次郎、1900年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『愛媛県百科大事典』上、愛媛新聞社、1985年。
- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。