高尾甚造
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高尾 甚造(たかお じんぞう、1898年(明治31年)9月5日[1] - 1958年(昭和33年)10月6日[2])は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。江原道知事、慶尚北道知事。
経歴
[編集]高尾武造の三男として熊本県葦北郡日奈久村(日奈久町を経て現八代市)に生まれる[1]。1921年(大正10年)高等試験に合格し、翌年、東京帝国大学法学部政治科を卒業する[3]。同年、朝鮮総督府に出仕し、江原道属として学務課長、官房主事、地方課長などを歴任したのち黄海道に転じ、同地方課長、警務局勤務、外務事務官を務めた[3]。ついで忠清南道、咸鏡北道、慶尚北道各警察部長、新京出張所長、駐満大使館朝鮮課長などを経て、1940年(昭和15年)9月、江原道知事を拝命し、1941年(昭和16年)11月に慶尚北道知事となった[3]。
脚注
[編集]- ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮61頁.
- ^ 「高尾 甚造氏(東京家裁調停委員)」『朝日新聞』1958年10月8日、10面。
- ^ a b c 日本官界情報社 1942, タ21頁.
参考文献
[編集]- 日本官界情報社 編『日本官界名鑑 昭和17年版』日本官界情報社、1942年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。