高山龍三
人物情報 | |
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生誕 |
1929年8月9日 日本 大阪府大阪市 |
死没 | 1929年8月9日 (-91歳没) |
出身校 | 大阪工業大学 |
学問 | |
研究分野 | 地理学・文化人類学 |
研究機関 | 東京工業大学、東海大学、京都文教大学 |
高山 龍三(たかやま りゅうぞう、1929年(昭和4年)8月9日 - 2019年(令和元年)11月23日)は、日本の文化人類学者、チベット文化学者。東京工業大学助手、東海大学助教授、大阪工業大学教授、京都文教大学文化人類学科教授。専攻は文化人類学・チベット学。
経歴
[編集]1929年、大阪市で生まれた。大阪市立大学で学び、同大学大学院博士課程を中退。東京工業大学の助手となった。1958年に川喜田二郎を隊長とする「西北ネパール学術探検隊」[1]が組織された際には隊員として参加[2]。
その後、東海大学、大阪工業大学教授を経て、京都文教大学文化人類学科教授。を退職。1958年以来ネパール、西および南アジア、ボルネオのフィールドワークを実施。2019年、敗血症のため死去[3] 。
研究内容・業績
[編集]2006年に日本国立民族学博物館がネパール写真データベースを公開した[4]。データベースに収められた写真に1958年の「西北ネパール学術探検隊」(隊長:川喜田二郎)に参加した高山龍三らが現地で撮影した3,584点と、同隊がネパールで収集した標本資料の295点の合計3,879点がある。
- 河口慧海研究
河口慧海の資料調査・研究公刊を生涯にわたって続けた。河口慧海については、黄檗文化研究所の雑誌『黄檗文華』において、第120号から137号にわたって調査研究の成果を発表した。それは、「国内の著作にみる河口慧海」1~8、「国内外の著作にみる河口慧海」1~7、「人物書誌大系『河口慧海』補遺」1~3である。河口慧海の日本国内での評価、慧海を扱った著作の概観、国内外の慧海について言及・引用された著作などが丹念にまとめられ、河口慧海に関する包括的かつ貴重な文献解題・目録となっている。
2004年に慧海の日記が新たに発見された際にもその整理・研究を手掛け、新版「著作集」に収録するなど増補に余念がなかった。『チベット旅行記』が講談社学術文庫で改訂刊行された際には、校閲解説も担当している。晩年には複数の慧海研究本を刊行している。
著書
[編集]単著
[編集]- 『ヒト・文化・文明 野外科学としての人類学入門』八千代出版 1979
- 『失われたチベット人の世界』日中出版 1990
- 『環境・人間・文化』1992 八千代出版
- 『河口慧海 人と旅と業績』大明堂 1999
- 原書房 2004
- 『展望 河口慧海論』法藏館 2002
- 『河口慧海への旅 釈迦生誕地に巡礼した人びと』勉誠出版 2011
- 『河口慧海 雲と水との旅をするなり』<ミネルヴァ日本評伝選> ミネルヴァ書房 2020
共著・編著・共編著
[編集]- 『ヒマラヤ―秘境に生きる人びと』川喜多二郎・高山 保育社 1962
- 『アジアを見直す』日本経済新聞社 1968
- 『朝日小事典ヒマラヤ』朝日新聞社 1977
- 『文化地理学』古今書院 1989
- 『ヒマラヤ名峰事典』平凡社 1996
- 『チベット旅行記』河口慧海著・高山校訂 講談社学術文庫 1978
- 改版 2015
- 『第二回チベット旅行記』河口慧海著・高山校訂 講談社学術文庫 1981
- 『河口慧海著作集』 監修・編集 うしお書店 1998-2001
- 元版・貝葉書院(一部)
- 『河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅』講談社 2007
- 『川喜田二郎の仕事と自画像』ミネルヴァ書房 2010
- 『融然の探検 川喜田二郎追悼論考集』清水弘文堂書房 2012
- Kindle版 2016
- 河口慧海『河口慧海著述拾遺 上巻』慧文社 2013 編集・解説
- 河口慧海『河口慧海著述拾遺 下巻』慧文社 2015 編集・解説
- 『人物書誌大系44 河口慧海』日外アソシエーツ 2015(発売:紀伊國屋書店)編集
- 河口慧海『河口慧海著述拾遺 補遺』慧文社 2018 奥山直司共編・解説
- 『環境・人類・文化』何大勇訳 雲南人民出版社 2018 中文出版
映画
[編集]脚注
[編集]- ^ [登山班には小方全弘、西岡京治、並河治、曽根原悳夫がいた。]
- ^ 西北ネパール学術探検隊1958年データカード(国立民族学博物館)
- ^ (西堀榮三郎記念探検の殿堂)
- ^ ネパール写真データベース(国立民族学博物館)
- ^ 西北ネパール学術探検隊の長編記録映画。第14回芸術祭文部大臣賞、第10回ブルーリボン教育文化映画賞、第14回毎日映画コンクール教育文化映画賞などを受賞。
- ^ 松竹