高島宮
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高島宮、高嶋宮(たかしまのみや、たかしまぐう)は、神武天皇が日向から大和国への東征途上で、吉備国に営んだとされる行宮(かりみや)である。吉備高島宮、吉備高嶋宮(きびのたかしまのみや、きびたかしまぐう)とも呼ばれる。
概要
[編集]『日本書紀』によると、太歳甲寅の年の10月5日に軍舟を率いて日向を出立し、大和へ向かう東征を開始した彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと。後の神武天皇)は、豊後水道を通り筑紫国、安芸国とを経て、翌年(乙卯年)3月6日、吉備国の高島の地に行宮を造って3年間滞在し、その間に船舶や武器の準備、兵糧の備蓄を行った上で、戊午年2月11日に再び大和へ向かい出航したというが、この時の行宮が高島宮である。ちなみに神武天皇の即位は高島宮進発の3年後、辛酉年であるとされている。『古事記』も大同小異の伝承を記すが、高島宮での滞在を8年間としている。
昭和13年(1938年)から15年にかけて、文部省が当時の学界の総力をあげて学術的な「神武天皇聖蹟調査」を試みた結果、当時の岡山県児島郡甲浦村大字宮浦字高島(現岡山市南区宮浦)を「聖蹟伝説地」に認定した[1]。宮浦には高島神社が鎮座し、高島宮の故跡に後世神社を創祀したとの伝承をもつため、この文部省の調査によってほぼ公認された状態であるが、同様の伝承を有し、または故跡に比定される神社(論社)は岡山県内や周辺一帯に複数存在している。
ちなみに「高島」の「島」は、必ずしも島を意味するとは限らない名称である。
伝承地(論社)
[編集]- 岡山県岡山市中区賞田鎮座。上記と並んで有力視されている。なお、現在の鎮座地はかつて島であった形跡はない。
- 岡山県笠岡市神島(こうのしま)鎮座。高島を「コウシマ」と訓み、そこから転じたものとして比定されている。
脚注
[編集]- ^ 同調査は神武天皇の東征伝説に見える地名を比定するに際し、これらを、地点または地域を推定できるもの(「聖蹟」)、地点または地域に関する江戸時代を降らない口碑伝承を有し、価値有りと認められるもの(「聖蹟伝説地」)、伝承はないものの価値ある学説があり、価値ある資料によって推考できるもの(「聖蹟推考地」)の3類に分かち、高島宮はその第2類に区分されたわけである。
関連項目
[編集]- 神武東征
- 高島 (岡山市中区)
- 高島 (岡山県笠岡市)
- 高島市(滋賀県)(上宮記によると継体天皇の父、彦主人王が高島宮に住んでおり、高島市の市名の由来になったという説がある。)
参考文献
[編集]- 坂本太郎他校注 『日本書紀 上』(日本古典文学大系新装版)、岩波書店、平成5年、ISBN 4-00-004484-2(初版は昭和42年)