高森城 (肥後国)
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高森城 (熊本県) | |
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別名 | 囲城 |
城郭構造 | 中世館 |
築城主 | 阿蘇氏庶流高森氏 |
築城年 | 中世 |
主な城主 | 高森氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | なし(推定地に石碑あり) |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯32度48分59.2秒 東経131度08分20.4秒 / 北緯32.816444度 東経131.139000度 |
地図 |
高森城(たかもりじょう)は、熊本県阿蘇郡高森町にあった中世の日本の城。
概要
[編集]熊本県阿蘇郡高森町高森字城山に位置し、阿蘇二十四城の1つとされた。高森城は肥後、豊後、日向の国境を押さえる要衝に位置し、戦国時代を生き抜いた阿蘇大宮司家最後の城となった。城地の後方には千人隠れの岩屋と呼ばれる窪地があり、間道は村落へ通じる。
室町時代から安土桃山時代を通じ、阿蘇氏の一門で南郷七家の筆頭である高森氏が一帯を治めていた。 薩摩島津氏から数度の侵攻を受け、天正14年(1586年)、ついに城主高森惟居が切腹し高森城は落城、肥後全土が平定された。城主が切腹した場所は現在も高森殿杉として清栄山に残っている。
また、落城の際に高森惟居の娘・柏姫が島津氏の家臣に斬られたと伝わる。なお、柏姫の墓は高森町の西郊にあり、柏塚と呼んでいる。
城地の詳細については確定しておらず、清栄山付近、標高約840mの迫地に立地していたと推測される。国道沿いの石碑のある場所は城跡ではない。
高森殿の杉
[編集]高森殿の杉(たかもりどんのすぎ)は、戦国末期、薩摩島津氏の侵攻を受けて落城した高森城主の高森伊予守惟居と、側近の三森兵庫能因の自刃の地として伝えられている。高森城主主従のもともとの墓所である。
経路
[編集]国道から分れて清栄山・黒岩峠につながる道に入る。最初のうちは両側を林に囲まれているが、しばらく行くと放牧場があり、左右に開ける。 その道路から見て、右手の方の牧場の中にこんもりとした杉山・森が見えてくる。 この森の中に、2本の杉の大樹が混じっている。 大きく3本に枝分かれし、横幅が10mもある大杉が、樹齢400 - 1000年以上(未確認)と言われている高森殿の杉である。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年