阿蘇郡
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阿蘇郡(あそぐん)は、熊本県(肥後国)の郡である。
人口32,539人、面積703.25km²、人口密度46.3人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の3町3村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 阿蘇市・南小国町・小国町・産山村・高森町の全域
- 西原村の大部分(河原を除く)
- 南阿蘇村の大部分(立野を除く)
- 菊池郡大津町の一部(岩坂・錦野・外牧)
- 上益城郡山都町の一部(大見口、上差尾、塩出迫、塩原、柳井原、方ケ野、仮屋、米生、須原、小峰、貫原、小中竹、木原谷、緑川以東)
名所
水源
滝
- 鍋ヶ滝公園
- 夫婦滝
温泉
神社
- 白川吉見神社
- 上色見熊野座神社
- 草部吉見神社
- 阿蘇白水龍神權現
- 宝来宝来神社
- 小国両神社
- 高森阿蘇神社
- 片俣阿蘇神社
- 長野阿蘇神社
- 平川阿蘇神社
牧場
- 阿蘇ミルク牧場
- 阿蘇ファームランド
- 阿蘇オルゴール館
- モーモーファーム竹原牧場
歴史
古代
『筑紫風土記』に閼宗県(あそ の あがた)という県(あがた)として記される。
また、『日本書紀』には阿蘇国(あそ の くに)という国が記されている。「国造本紀」によれば、阿蘇国を支配したのは阿蘇国造であるという。阿蘇氏はその子孫とされる。
『日本書紀』には阿蘇国造の祖先でもある阿蘇都彦(あそつひこ)・阿蘇都媛(あそつひめ)の2神が登場し、この2神がいたことが「阿蘇」の地名の由来であると記される。この2神は現在の阿蘇市にある阿蘇神社の祭神となっている。
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
阿蘇郡 3座(大1座・小2座) | |||||||
健磐竜命神社 | タケイハタツノ- | 名神大 | 阿蘇神社 | 本宮:熊本県阿蘇市一の宮町宮地 奥宮:熊本県阿蘇市黒川 |
肥後国一宮 | [1] | |
阿蘇比咩神社 | アソ- | 小 | [2] | ||||
国造神社 | クニツクリ クニノミヤツコノ |
小 | 国造神社 | 熊本県阿蘇市一の宮町手野 | |||
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近世以降の沿革
- 内牧村、分内牧村、宇土村、折戸村、小園村(現・阿蘇市西小園)、西湯浦村、湯浦村、宮原村(現・阿蘇市)、小里村、成川村、小池村、黒流町村、今町村、小野田新村、綾野村[1]、小倉村、山田村、小野田村、小野田町村、綾野下原村、役犬原村、西町村、分西町村、竹原村(現・阿蘇市)、蔵原村、東黒川村、黒川村、乙姫村、永草村、赤水村、車帰村、的石村、跡ヶ瀬村、狩尾村、坂梨村、古閑村、馬場村(現・阿蘇市)、北坂梨村、上野中村、下野中村、上三ヶ村、下三ヶ村、手野村、尾籠村、東下原村、西下原村、中原村(現・阿蘇市)、井手村、宮地村[2]、東宮地村、北宮地村、西宮地村、分西宮地村、四分一村、布田村、日向村、宮山村、小東村、小森村、鳥子村、岩坂村、錦野村、外牧村、下久木野村、久木野村、上久木野村、東下田村、宮寺村、下田村、川後田村、長野村、喜多村、吉田村、下市村、下積村、上中村、西中村、下中村、松木村、二子石村、竹崎村、市下村、高森村、高森町、村山村、上色見村、色見村、白川村、大中野村、永野原村、幸子村、大切畑村、所尾野村、下切村、小篠村、草ヶ部村、社倉村、小崎村、木郷村、原口村、馬場村(現・高森町)、芹口村、水湛村、菅山村、水迫村、下尾野村、栃原村(現・高森町)、岩神村、野尻村、胡桃原村、蔵地村、向津留村、津留村、上津留村、重井野村、永野村、尾下村、牧戸村、味鳥村、黒岩村、仁田水村、市野尾村、河原村、峰ノ宿村、中村、祭場村、矢津田村、高尾野村、小村、柳村、西竹原村、東竹原村、旅草村、梶原村、小倉村、早楢村、高畑村、下山村、目細村、稲生村、玉目村、蔵木山村、仁瀬本村、丸小野村、大野原村、橘崎村、神動村、椛山村、神木村、八矢村、二津留村、柏村、花寺村、今村、米山村、大久保村、大迫村、塩出迫村、大見口村、上指尾村、菅尾村、神前村、大野村、竿渡村、馬見原村、長崎村、方ヶ野村、土戸村、仮屋村、名ヶ園村、上原村、馬場野村、市原村、鎌野村、白石村、尾野尻村、小峰村、貫原村、栃原村(現・上益城郡山都町)、猪尾村、木原谷村、西原村、川口村、梅木鶴村、栗林村、尾ヶ分村、栗藤村、斗塩村、黒原村、柳井原村、須刈村、小中竹村、高須村、黒淵村、宮原村(現・小国町)、西里村、北里村、満願寺村、上田村、赤馬場村、中原村(現・南小国町)、下城村、産山村、田尻村、山鹿村、大利村、片俣村、小園村(現・阿蘇市波野小園)、小地野村、赤仁田村、滝水村、波野村、中江村
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により熊本県(第1次)の管轄となる。
- 明治5年6月14日(1872年7月19日) - 白川県の管轄となる。
- 明治初年(1町214村)
- 無田村が起立。
- 波野村の一部が分立して新波野村となる。
- 明治7年(1874年) - 日向村が宮山村に、小東村が小森村にそれぞれ合併。(1町212村)
- 明治8年(1875年)12月10日 - 熊本県(第2次)の管轄となる。同年、以下の各村の統合が行われる。(1町205村)
- 須原村 ← 西原村、高須村
- 米生村 ← 名ヶ園村、上原村、馬場野村
- 緑川村 ← 川口村、梅木鶴村、栗林村、尾ヶ分村、栗藤村
- 明治9年(1876年) - 以下の各村の統合が行われる。(1町130村)
- 三野村 ← 上野中村、下野中村、上三ヶ村、下三ヶ村
- 中通村 ← 東下原村、西下原村、中原村(現・阿蘇市)、井手村
- 河陰村 ← 下久木野村、久木野村[一部]、下田村[一部]
- 久石村 ← 久木野村[残部]、上久木野村、二子石村
- 河陽村 ← 東下田村、宮寺村、下田村[残部]、川後田村、喜多村
- 一関村 ← 下市村、下積村
- 中松村 ← 上中村、西中村、下中村、松木村
- 両併村 ← 竹崎村、市下村
- 竹原村(現・上益城郡山都町) ← 西竹原村、東竹原村
- 伊勢村 ← 旅草村、梶原村
- 高辻村 ← 小倉村、早楢村
- 長谷村 ← 目細村、稲生村、蔵木山村
- 橘村 ← 橘崎村、椛山村
- 花上村 ← 神動村、花寺村
- 八木村 ← 神木村、八矢村
- 米迫村 ← 米山村、大迫村
- 滝上村 ← 竿渡村、土戸村、須刈村
- 塩原村 ← 斗塩村、黒原村
- 綾野村が小倉村に、古閑村・馬場村(現・阿蘇市)が坂梨村に、尾籠村が手野村に、東宮地村・北宮地村・西宮地村・分西宮地村・四分一村が宮地村に、高森村・村山村が高森町に、大中野村・幸子村が永野原村に、大切畑村・所尾野村・小篠村が下切村に、社倉村・小崎村・木郷村が草ヶ部村に、原口村・馬場村(現・高森町)が芹口村に、水湛村・水迫村・下尾野村・栃原村(現・高森町)が菅山村に、岩神村が永野原村に、胡桃原村・蔵地村・向津留村が野尻村に、上津留村・重井野村・永野村が津留村に、牧戸村が尾下村に、味鳥村・黒岩村・仁田水村・市野尾村が河原村に、峰ノ宿村・祭場村が中村に、高尾野村・小村が矢津田村に、丸小野村・大野原村が仁瀬本村に、大久保村が菅尾村に、栃原村(現・上益城郡山都町)・猪尾村が小峰村にそれぞれ合併。
- 明治12年(1879年)(1町124村)
- 明治13年(1880年)(1町123村)
- 東黒川村が黒川村に合併。
- 小園村(現・阿蘇市西小園)が西小園村に、宮原村(現・阿蘇市)が南宮原村に、竹原村(現・上益城郡山都町)が東竹原村にそれぞれ改称。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町24村)
- 宮地村、中通村(それぞれ単独村制。現・阿蘇市)
- 高森町(単独町制。現存)
- 内牧村 ← 内牧村、湯浦村、西湯浦村、三久保村、南宮原村、西小園村、小里村(現・阿蘇市)
- 古城村 ← 北坂梨村[大部分]、三野村、手野村(現・阿蘇市)
- 坂梨村 ← 坂梨村、北坂梨村[一部](現・阿蘇市)
- 山田村 ← 山田村、小野田村、小倉村、小池村、黒流町村、今町村(現・阿蘇市)
- 南小国村 ← 赤馬場村、満願寺村、中原村(現・南小国町)
- 北小国村 ← 宮原村、上田村、西里村、北里村、下城村、黒淵村(現・小国町)
- 尾ヶ石村 ← 狩尾村、跡ヶ瀬村、的石村(現・阿蘇市)
- 黒川村 ← 役犬原村、西町村、蔵原村、黒川村、竹原村、乙姫村(現・阿蘇市)
- 錦野村 ← 外牧村、錦野村、岩坂村(現・菊池郡大津町)
- 野尻村 ← 津留村、野尻村、尾下村、河原村(現・高森町)
- 山西村 ← 小森村、布田村、宮山村、鳥子村(現・西原村)
- 草ヶ矢村 ← 芹口村、草ヶ部村、菅山村、永野原村、下切村、矢津田村、中村(現・高森町)
- 白水村 ← 吉田村、白川村、両併村、一関村、中松村(現・南阿蘇村)
- 色見村 ← 色見村、上色見村(現・高森町)
- 長陽村 ← 下野村、長野村、河陽村(現・南阿蘇村)
- 久木野村 ← 河陰村、久石村(現・南阿蘇村)
- 波野村 ← 波野村、新波野村、中江村、滝水村、小地野村、赤仁田村、小園村(現・阿蘇市)
- 永水村 ← 車帰村、無田村、赤水村、永草村(現・阿蘇市)
- 産山村 ← 産山村、田尻村、山鹿村、大利村、片俣村(現存)
- 菅尾村 ← 菅尾村、花上村、八木村、今村、米迫村、塩出迫村、塩原村(現・上益城郡山都町)
- 馬見原町 ← 神前村、白石村、方ヶ野村、大野村、長崎村、馬見原町、滝上村、柳井原村(現・上益城郡山都町)
- 柏村 ← 柳村、東竹原村、伊勢村、高畑村、高辻村、下山村、橘村、長谷村、仁瀬本村、玉目村、柏村、大見口村、上指尾村、二津留村(現・上益城郡山都町)
- 小峰村 ← 小峰村、貫原村、小中竹村、木原谷村、緑川村、尾野尻村、鎌野村、市原村、仮屋村、米生村、須原村(現・上益城郡山都町)
- 明治27年(1894年)1月12日 - 草ヶ矢村が改称して草部村となる。
- 明治29年(1896年)6月1日 - 郡制を施行。郡役所が宮地村に設置。
- 明治34年(1901年)1月1日 - 宮地村が町制施行して宮地町となる。(3町23村)
- 明治39年(1906年)4月1日 - 内牧村が町制施行して内牧町となる。(4町22村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和10年(1935年)4月1日 - 北小国村が町制施行・改称して小国町となる。(5町21村)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 小峰村の所属郡が上益城郡に変更。(5町20村)
- 昭和29年(1954年)4月1日 (5町13村)
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 草部村・高森町・色見村が合併し、改めて高森町が発足。(5町11村)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和32年(1957年)8月1日 - 野尻村が高森町に編入。(5町7村)
- 昭和35年(1960年)9月1日 - 山西村が上益城郡河原村と合併して西原村が発足。(5町7村)
- 昭和44年(1969年)11月1日 - 南小国村が町制施行して南小国町となる。(6町6村)
- 平成17年(2005年)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
高森町 | 高森町 | 高森町 | 昭和30年4月1日 高森町 |
高森町 | 高森町 | |
草ヶ矢村 | 明治27年1月12日 改称 草部村 |
草部村 | ||||
色見村 | 色見村 | 色見村 | ||||
野尻村 | 野尻村 | 野尻村 | 昭和32年8月1日 高森町に編入 | |||
宮地村 | 明治34年1月1日 町制 |
昭和29年4月1日 一の宮町 |
一の宮町 | 平成17年2月11日 阿蘇市 |
阿蘇市 | |
中通村 | 中通村 | |||||
古城村 | 古城村 | |||||
坂梨村 | 坂梨村 | |||||
内牧村 | 明治39年4月1日 町制 |
昭和29年4月1日 阿蘇町 |
阿蘇町 | |||
山田村 | 山田村 | |||||
尾ヶ石村 | 尾ヶ石村 | |||||
黒川村 | 黒川村 | |||||
永水村 | 永水村 | |||||
波野村・小園村・小地野村 赤仁田村・滝水村・中江村 新波野村 |
波野村 | 波野村 | 波野村 | 波野村 | ||
産山村・山鹿村・片俣村 田尻村・大利村 |
産山村 | 産山村 | 産山村 | 産山村 | 産山村 | 産山村 |
南小国村 | 南小国村 | 南小国村 | 昭和44年11月1日 町制 |
南小国町 | 南小国町 | |
北小国村 | 昭和10年4月1日 町制改称 小国町 |
小国町 | 小国町 | 小国町 | 小国町 | |
吉田村・両併村・白川村 一関村・中松村 |
白水村 | 白水村 | 白水村 | 白水村 | 平成17年2月13日 南阿蘇村 |
南阿蘇村 |
長陽村 | 長陽村 | 長陽村 | 昭和31年8月1日 菊池郡 瀬田村立野を編入 | |||
久石村・河陰村 | 久木野村 | 久木野村 | 久木野村 | 久木野村 | ||
錦野村 | 錦野村 | 錦野村 | 昭和31年8月1日 (外牧・錦野・岩坂の一部) 菊池郡 大津町の一部 |
菊池郡 大津町 | ||
昭和31年8月1日 (岩坂の一部) 山西村に編入 |
西原村 | 西原村 | ||||
山西村 | 山西村 | 山西村 | 昭和35年9月1日 西原村 | |||
上益城郡 河原村 |
上益城郡 河原村 |
上益城郡 河原村 | ||||
馬見原町 | 馬見原町 | 馬見原町 | 昭和31年9月30日 蘇陽町 |
平成17年2月11日 上益城郡 山都町の一部 |
上益城郡 山都町 | |
菅尾村 | 菅尾村 | 菅尾村 | ||||
柏村 | 柏村 | 柏村 | ||||
小峰村 | 小峰村 | 昭和23年4月1日 上益城郡 |
昭和31年7月1日 上益城郡 清和村の一部 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)1月20日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 43 熊本県、角川書店、1987年11月1日。ISBN 4040014308。
- 旧高旧領取調帳データベース