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高橋勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかはし まさる
高橋 勝
生年月日 (1943-06-27) 1943年6月27日
没年月日 不詳年
出身地 日本の旗 日本 大分県
職業 プロデューサー
ジャンル テレビドラマ、映画
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高橋 勝(たかはし まさる、1943年6月27日 - 没年不明)は、日本プロデューサー大分県出身。大分県立津久見高等学校卒。

日本映画監督協会会員、日本アカデミー賞協会会員、映像三団体連絡会会員、日本映画テレビプロデューサー協会元会員。

経歴

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三洋映画(記録映画)、円谷プロダクション(特撮映画中心)、宣弘社(子供向けドラマ)、C.A.L(時代劇)の助監督を経てC.A.L、フジテレビ制作『浮世絵・女ねずみ小僧』の作品から28歳で監督に昇進。

21歳の若さでピンク映画『肉の炎』を脚本・監督。宣弘社制作の特撮作品『光速エスパー』の監督も手掛けている。1984年に『旅芝居行進曲』で一般映画を初監督(兼脚本)[1]、翌1985年に落合恵子原作の『夏草の女たち』を監督[1]。同作は製作発表時には原作と同じ『東中野ハウスの夏』の題名が告知されていた[1][2]。同作は配給が決まらず[2]、公開は1987年になった。

飯塚芳郎監督作品の『黄金バット』が電通出身のプロデューサー宮本進によって世に送り出される。

小野田嘉幹篠田正浩市川崑に師事。監督昇進後、C.A.L、三船プロダクションアズバーズを経て1991年10月14日、株式会社シーユーシー(テレビ・映画製作会社)を設立。後に同社代表取締役顧問に就任している。

日本映画テレビプロデューサー協会会員だったが2017年11,12月号の会報で退会が報告された[3]。時期は不明だが会員である日本映画監督協会公式サイトでは物故者となっている[4]

作品リスト

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テレビ番組

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フジテレビ

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TBS

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テレビ朝日

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日本テレビ

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東海テレビ

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読売テレビ

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関西テレビ

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テレビ東京

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毎日放送

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スカイパーフェクTV!

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CM

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映画

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監督作品

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プロデュース作品

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企画・製作協力作品

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脚注

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  1. ^ a b c 「邦画ニュース」『シティロード』1985年8月号、エコー企画、26頁。 
  2. ^ a b 「Movieまにあっく 邦画遠眼鏡〈'86最新未公開情報〉」『シティロード』1986年1月号、エコー企画、23頁。 
  3. ^ No.457 2017年 11,12月号”. 日本映画テレビプロデューサー協会 (n.d.). 2023年4月29日閲覧。
  4. ^ Directors Guild of Japan (n.d.). “高橋 勝 日本映画監督協会 会員情報”. 日本映画監督協会. 2021年12月16日閲覧。

外部リンク

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