高橋欽哉
表示
高橋 欽哉(たかはし きんや、1866年7月17日(慶応2年6月6日[1]) - 1937年(昭和12年)10月21日[2])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。
略歴
[編集]1866年(慶応2年)に大分県大分郡西庄内村(現由布市庄内町)の庄屋の家に生まれる。1890年(明治22年)に速見郡浜脇村(現別府市浜脇)で高級旅館泉孫を経営する高橋孫三郎の養子となる[3]。
1906年(明治39年)に浜脇町と別府町が合併して新たに別府町が誕生すると、その助役に抜擢される。別府町会議員、町会議長を歴任した後、1919年(大正8年)には大分県会議員に当選。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙において立憲民政党から大分県第2区に立候補して当選。初の別府出身の衆議院議員となった[3]。
一方、実業家としては、1929年(昭和4年)に大分農工銀行(現在のみずほ銀行大分支店)の頭取となり、同年11月に別府商工会議所が発足すると1936年(昭和11年)5月までその初代会頭を務めた。[4]
1929年(昭和4年)に別府市浜脇の旅館泉孫の裏手に建てた自宅兼迎賓館の聴潮閣は、1989年(平成元年)に別府市青山町に移築され、2001年(平成3年)8月28日に登録有形文化財に登録されている。2013年(平成25年)1月からは佐藤溪美術館として一般公開されている[5]。