高橋金治
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高橋 金治(たかはし きんじ、1859年6月4日(安政6年5月4日[1])- 1917年(大正6年)8月22日[2])は、明治から大正期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]陸奥国胆沢郡、のちの岩手県[2]胆沢郡水沢町[3][4](水沢市を経て現奥州市)で、大地主、仙台藩水沢伊達家家臣・高橋万右衛門の二男として生れ[1]、1893年(明治26年)1月、兄・敬章の跡を継承した[1]。藩校立生館で学んだ[1][4]。1875年(明治8年)水沢県に出仕したが廃県後に辞職した[1][4]。
その後、商業に従事したが事業に失敗して各地を放浪した[1][4]。宮城県下で教師をしていたフランス人と出会い、日本語教授、翻訳助手となり、仏学を学んだ[1][4]。
1895年(明治28年)同志と水沢銀行の設立に参画した[1][4]。同行専務取締役、水沢貯蓄銀行専務取締役、水沢家畜商事合資会社代表社員、胆江倉庫専務取締役、東北物産委託商会専務取締役、水沢電燈取締役、黒沢尻銀行監査役、胆江軌道監査役、岩手県農工銀行創立委員などを務めた[1][2][3][4]。
政界では、水沢町会議員、胆沢郡会議員、同参事会員、同徴兵参事員、所得税調査員などを務めた[1][2][3][4]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(岩手県郡部)で初当選し[5]、以後、第9回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、1902年8月、憲政本党)当選[5]
- 第8回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、1903年3月、憲政本党)当選[5]
- 第9回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、1904年3月、憲政本党)当選[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。