高浜年尾
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高浜 年尾(たかはま としお、1900年12月16日 - 1979年10月26日)は、俳人[1]。ホトトギス代表[1]。俳人高浜虚子の実子。「年尾」の名は正岡子規の命名による。
経歴・人物
[編集]東京市神田区猿楽町に虚子・いと夫妻の長男として生まれる。開成中学校から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)に進む。小樽高商時代は同期に小林多喜二、1期下に伊藤整がおり、全員でフランス語劇に出演したこともある。卒業後、旭シルクに入社する。のち転勤により兵庫県芦屋に転居する。句作は父虚子の手ほどきを受けて中学時代から始めていたが、この時期に一時中断、1938年に『俳諧』を発行し連句をはじめる。「俳諧」は俳句、連句、俳文、俳詩、俳論などのほか俳句の英・仏・独訳を載せるなど意欲的な俳誌であった。
1939年、旭シルクを退社し以後俳句に専念、関西の俳壇の中心として活躍する。1944年、戦時下の物資不足のため『俳諧』を『ホトトギス』に合併させる。1951年『ホトトギス』雑詠選者。1959年、朝日俳壇および愛媛俳壇選者。同年虚子より『ホトトギス』主宰を継承する。1979年10月26日死去、78歳。死後『ホトトギス』主宰は次女の稲畑汀子に引き継がれた。句集に『年尾句集』ほかに『俳諧手引』などの著書がある。
趣味は文学運動[1]。宗教は仏教[1]。住所は兵庫県芦屋市月若町[1][2][3]。
家族・親族
[編集]- 高浜家
- 妻・喜美(1907年 - 2003年、上田源二郎の長女)[1]
- 長男・初也[1](芦屋市にある虚子記念文学館名誉館長、1936年 - )
- 長女・中子[1](俳人、坊城としあつの妻、1928年 - 2021年)
- 二女・汀子[1](俳人、稲畑染料店創業者稲畑勝太郎の孫で[4]、稲畑商店会長稲畑二郎の三男順三の妻、1931年 - 2022年)
- 三女・朋子[1](作家藤島泰輔の妻、1933年 - )
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第15版 下』タ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
- ^ 高浜虚子三代句碑(月若公園内)
- ^ 月若公園(兵庫県芦屋市)-日本1000公園
- ^ 『人事興信録 第13版 上』イ218頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 稲畑汀子 編 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年、76-77頁