コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高石弁治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高石 弁治高石 辨治、たかいし べんじ、1882年明治15年〉12月17日 - 1940年昭和15年〉3月8日)は、明治末期から昭和戦前期にかけて活動した日本の電気技術者・実業家である。愛知県岡崎市の電力会社岡崎電灯に技師として入社し、技師長・常務取締役と昇進、後身の中部電力(岡崎)では副社長を経て社長まで昇った。愛媛県出身。

経歴

[編集]

高石弁治は1882年(明治15年)12月17日、愛媛県宇摩郡寒川村(現・四国中央市)に高石佐吉の長男として生まれた[1]愛媛県立西条中学校を経て京都第三高等学校へ進み[2]1906年(明治36年)7月第二部工科を卒業[3]。次いで1909年(明治42年)7月京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業した[4]

卒業後は実業界に入り、愛知県岡崎市の岡崎電灯株式会社に技師として入社した[5]。同社は岡崎の実業家杉浦銀蔵(2代目)・田中功平近藤重三郎が起業した電力会社で、1897年(明治30年)に開業[6]。高石が入社する2年前の1907年(明治40年)に合資会社から株式会社へ改組されたばかりであった[6]。岡崎電灯に入った高石は矢作川水系に建設中の東大見発電所の工事担当となり、1911年(明治44年)3月これを完成させた[6]

岡崎電灯では後に技師長に挙げられ[5]1919年(大正8年)12月には取締役に選ばれた[7]。次いで1922年(大正11年)12月常務取締役に就任[8]、社長の杉浦銀蔵(3代目)を補佐して社業の強化にあたった[2]。また岡崎電灯時代、同社経営陣は高石の郷里宇摩郡の電気事業にも関わった[9]1919年(大正8年)2月に帝国電灯東予営業所(旧・東予水力電気)の事業を譲り受けて開業した「燧洋電気」という会社がそれで[9]、高石は前年10月の会社設立時に取締役となった[10]。同社はその後1928年(昭和3年)に愛媛県内の中核事業者伊予鉄道電気へと合併されている[9]

岡崎電灯は周辺事業者の再編が進む中でも長く独立を保ったが、1930年(昭和5年)になって中京地方の中核事業者東邦電力との提携が成立し、新会社中部電力(岡崎)が岡崎電灯ならびに東邦電力豊橋営業所を統合するという形での再編がなされた[11]。高石は合併認可3日前の同年7月28日付で中部電力取締役に就任[12]。再編成立後の新体制では社長杉浦銀蔵の下で副社長を務める[13]。その4年後の1934年(昭和9年)10月25日、藍川清成の取締役会長就任とともに代表取締役社長に昇格した[8][14]。この時期、中部電力代表者として岡崎商工会議所副会頭も務めている(在任期間:1933年4月 - 1936年2月)[15]

1935年(昭和10年)12月[16]、東邦電力・中部電力・三河水力電気伊那電気鉄道の共同出資により天竜川支流での水力開発を目的とする中央水力が設立された[17]。翌1936年(昭和11年)12月4日、高石は中部電力代表取締役を辞任[18]。1か月後の1937年(昭和12年)1月26日、監査役から転じて中央水力代表取締役に選ばれた[19]。なお社長から退いた中部電力は、1937年8月親会社東邦電力へと合併され消滅している[11]。高石は次いで翌1938年(昭和13年)8月1日に中央水力と三河水力電気・南信電気の合併で中央電力が発足するとその初代代表取締役社長に就任した(代表取締役会長に桜木亮三[20][8]

中央電力発足2年後の1940年(昭和15年)3月8日[1]、中央電力社長在任のまま死去した[21]。57歳没。

参考文献

[編集]
  1. ^ a b 伊予三島市史編纂委員会 編『伊予三島市史』中巻、伊予三島市、1986年、851頁
  2. ^ a b 原卯三郎『西参ノ事業ト人』、西三新聞社、1926年、8-10頁。NDLJP:922911/16
  3. ^ 「学事 卒業証書授与第三高等学校」『官報』第6905号、1906年7月6日付。NDLJP:2950246/8
  4. ^ 「学事 卒業証書授与京都帝国大学」『官報』第7819号、1909年7月19日付。NDLJP:2948098/4
  5. ^ a b 中西利八 編『財界二千五百人集』、財界二千五百人集編纂部、1934年、30頁。NDLJP:1447438/37
  6. ^ a b c 浅野伸一「岡崎電燈事始め」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第5回講演報告資料集(矢作川の電源開発史)、中部産業遺産研究会、1997年、43-70頁
  7. ^ 商業登記」『官報』第2317号附録、1920年4月26日付。NDLJP:2954430/22
  8. ^ a b c 中部電力電気事業史編纂委員会 編『中部地方電気事業史』下巻、中部電力、1995年、357-358頁
  9. ^ a b c 井上要『伊予鉄電思ひ出はなし』、伊予鉄道電気社友会、1932年、301-315頁。NDLJP:1105406/168
  10. ^ 「商業登記」『官報』第2045号附録、1919年5月30日付。NDLJP:2954159/20
  11. ^ a b 東邦電力史編纂委員会 編『東邦電力史』、東邦電力史刊行会、1962年、258-269頁
  12. ^ 「中部電力株式会社第2回営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  13. ^ 竹内文平『三州電界統制史』、昭文閣書房、1930年、8・192-193頁
  14. ^ 「中部電力株式会社第11回営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  15. ^ 『岡崎商工会議所五十年史』、岡崎商工会議所、1942年、385-386頁。NDLJP:1067822/208
  16. ^ 「商業登記」『官報』第2762号、1936年3月19日付。NDLJP:2959242/13
  17. ^ 電気新報社 編『電気年報』昭和11年版、電気新報社、1936年、114頁。NDLJP:1114830/83
  18. ^ 「中部電力株式会社第15回営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  19. ^ 「商業登記 中央水力株式会社変更」『官報』第3129号、1937年6月10日付。NDLJP:2959612/19
  20. ^ 「中央電力株式会社第1期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  21. ^ 「中央電力株式会社第4期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)

関連項目

[編集]