高祖保
高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日[1] - 1945年〈昭和20年〉1月8日[1][2])は、日本の詩人。
略歴
[編集]1910年(明治43年)5月4日、岡山県邑久郡牛窓町(現:瀬戸内市)の素封家に生まれる[1][2]。
1919年(大正8年)、前年の父の死去を機に分家し、母の実家がある滋賀県犬上郡彦根町(現:彦根市)の外馬場に移り住む[1]。
1928年(昭和3年)、滋賀県立彦根中学校(現:滋賀県立彦根東高等学校)を卒業[1]。
1930年(昭和5年)12月、金沢の第九連隊第一中隊に、幹部候補生として入隊[1]。
1932年(昭和7年)、母と別居し、國學院大学附属高等師範部に入学[2][1]。
1933年(昭和8年)、第一詩集『希臘十字』を発表。
1936年(昭和11年)、國學院大学附属高等師範部を卒業し、叔父の経営する貿易商社に入社[1][2]。
1937年(昭和12年)、結婚。叔父の死去にともない宮部姓を継ぎ、社長に就任[2]。
1941年(昭和16年)、第二詩集『禽のゐる五分間写生』を発表。
1942年(昭和17年)、第三詩集『雪』を発表[2]。この翌年、同詩集は文藝汎論詩集賞を受賞。
1944年(昭和19年)、第四詩集『夜のひきあけ』を発表。陸軍少尉として応召され、南方戦線に送られる。第五詩集として準備していた『独楽』は未刊に終わった。
1945年(昭和20年)1月8日、ビルマ(現:ミャンマー)にて戦病死[1][2]。享年34[1]。
1947年(昭和22年)、保の詩友、遺族らの手により『高祖保詩集』が刊行される。堀口大學は同書巻頭の悼詩において、その玲瓏な詩風を詩集『雪』にちなみ「『雪』の詩人」と評した。
著作
[編集]- 希臘十字(1933年)
- 禽のゐる五分間寫生(1941年)
- 雪(1942年)
- 夜のひきあけ(1944年)
- 高祖保詩集(1947年)
- 高祖保詩集(1988年)
- 高祖保書簡集(2008年)龜鳴屋
- 高祖保随筆集 庭柯のうぐひす(2014年)龜鳴屋
- 高祖保集 詩歌句篇(2015年)龜鳴屋