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高谷朝子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高谷 朝子(たかや あさこ、1924年大正13年)6月26日 - 2018年平成30年)5月11日[1])は、宮内庁内掌典。 高谷の高は、はしごだか(髙)

略歴

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滋賀県大津市生まれ[2]1942年昭和17年)3月に滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学校)を卒業[2]。翌1943年(昭和18年)6月1日宮内省内掌典を拝命。以後約57年間に亘り、皇室の神事、賢所や候所の伝統を護る。終戦から昭和天皇崩御までを皇居内で過ごした。この間、1985年(昭和60年)4月におかしら(内掌典の長)に就任[2]。昭和天皇大喪の礼、第125代天皇明仁即位の礼皇太子徳仁親王成婚に関わった。2000年(平成12年)11月、勲四等瑞宝章受章[2]2001年(平成13年)3月31日に退職[要出典]日本マナー・プロトコール協会顧問[1]

日本教育再生機構」の賛同者。評論家高谷覚蔵は叔父にあたる[要出典]

著書

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  • 『宮中賢所物語 ~五十七年間皇居に暮らして~』 ビジネス社2006年河出文庫2017年。聞き手明石伸子・太田さとし
  • 「「歳旦祭」の御製と宮中祭祀―宮中三殿に五十七年間お仕えして」
    • 『永遠の皇室を仰いで 宮中祭祀、御製、行幸-今上天皇のご公務と大御心』(明成社2008年)より

論文

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脚注

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  1. ^ a b 【訃報】協会顧問 高谷朝子様 日本マナー・プロトコール協会 2018年5月14日
  2. ^ a b c d 綾瀬稲荷神社ホームページ(三遊亭円丈編集) 「~元内掌典~ 髙谷朝子のことば」より。