高野保春
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 慶安3年3月3日(1650年4月3日) |
死没 | 正徳2年5月26日(1712年6月29日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後西天皇→霊元天皇→東山天皇→中御門天皇 |
氏族 | 持明院家→高野家 |
父母 | 父:持明院基定、母:持明院基久の娘 |
兄弟 | 持明院基時、保春 |
子 | 保光、四辻実長[1]、保房 |
高野 保春(たかの やすはる)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿。高野家の祖。
経歴
[編集]官位は正二位・権大納言。主に霊元天皇・東山天皇の御世の朝廷に仕えた。
浅野長矩が元禄14年(1701年)に接待役を命じられていた勅使の一人(もう一人は柳原資廉)としても知られる。
官歴
[編集]- 慶安1年(1650年) 3月 3日 (1歳) :誕生
- 万治1年(1658年) 9月10日 (9歳) :従五位下
- 寛文1年(1661年)12月 6日 (12歳):元服のうえ昇殿、修理権大夫
- 寛文2年(1662年) 5月 5日 (13歳):従五位上
- 寛文5年(1665年)12月 6日 (16歳):正五位下
- 寛文9年(1669年)12月14日 (20歳):従四位下
- 延宝2年(1674年)12月27日 (25歳):従四位上
- 延宝6年(1678年)12月19日 (29歳):正四位下
- 天和3年(1683年) 8月23日 (34歳):従三位
- 天和3年(1683年)12月29日 (34歳):宮内卿
- 元禄3年(1690年) 3月12日 (41歳):正三位
- 元禄5年(1692年)12月29日 (43歳):参議
- 元禄10年(1697年)12月14日 (48歳):参議辞職
- 元禄11年(1698年) 1月 5日 (49歳):従二位
- 元禄13年(1700年) 8月29日 (51歳):権中納言・勅授帯剣聴直衣
- 元禄13年(1700年)10月24日 (51歳):権中納言辞職
- 宝永5年(1708年) 12月21日 (59歳):権大納言
- 宝永6年(1709年) 5月27日 (60歳):権大納言辞職
- 正徳1年(1711年) 7月27日 (62歳):正二位
- 正徳2年(1712年) 5月26日 (63歳):薨去